病気になってしまう前に改善を図るという発想
―神奈川県が推し進めている「ヘルスケア・ニューフロンティア政策」の詳細を教えてください。
神奈川県は、日本でも高齢化が進むスピードがいちばん速いとされています。このままだと、国民健康保険や介護保険制度が維持できなくなり、病院もその機能を果たせなくなる。ですから、「いまのうちに変えなければいけない」と。
それを2つのアプローチで進めていこうとしているのです。1つ目は「未病」を改善するという取り組み。未病とは真っ白な「健康」か、真っ赤な「病気」かの2択ではなく、健康から病気にいたるまでをグラデーションとしてとらえるという概念です。そこで自分はどこの位置にいるかということをわかったうえで、食や運動習慣の改善によって少しでも白いほうにもっていく努力をする。「なんとなく具合が悪い」「なんとなく疲れている」ということがあるじゃないですか。つまり病気になってから治すのではなく、未病のうちに改善しようとしているのです。
―具体的にどういった取り組みを行っているのですか。
たとえば「CHO(健康管理最高責任者)構想」があります。これは、企業や団体が従業員やその被扶養者の健康づくりを企業経営の一部に位置づけ、経営責任としてその人たちの健康マネジメント、いわゆる「健康経営」を進める取り組みです。そして、神奈川県庁では、私自身がCHOになって実施しているのです。
全職員に歩数計を配って歩いた距離をランキング形式で出し、歩数が多い人には共済組合と連携して商品を贈る。そんな取り組みを行っています。これが実際にやってみると成果を出すのがなかなか難しくて(笑)。健康に関心がある人とない人に、はっきりわかれてしまうんです。そのため、CHO構想に共感する企業や団体とコンソーシアムをつくり、それぞれの成果や課題を共有しつつ、改善を進めているところです。
iPS細胞やロボット技術など 最先端技術に取り組む
―2つ目はなんでしょう。
最先端の医療・最新技術の追求です。たとえば、グラデーションのなかのどの位置にいるかを知るため、新しいテクノロジーの開発を進めています。
その一例として、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスと連携して取り組んでいる「ME -BYO ハウスラボ・プロジェクト」があります。実際に大学キャンパス内にハウスを設置。居住を通じてデータを取得し、改善を行う実証研究を行っています。トイレにセンサーを埋め込んで、尿の出方や体内から出るガスを分析してデータ化する。ベッドで何回寝返りを打ったか、寝相・心拍数はどうだったかを計測する。自身のバイタルデータを鏡に映すことによって、顔色を調べて体調をチェックする、といったことも行っています。
また、iPS細胞をはじめとする再生・細胞医療やロボット技術などの活用にも積極的に取り組んでいます。未病の改善には、運動習慣が非常に大事。それが事故や病気で歩けなくなると、未病状態が悪くなってしまう。それを改善するのが狙いです。その象徴的なものが世界初のサイボーグ型ロボット「HAL®」です。これは足が動かない人が装着したときも、脳から「歩こう」という信号をセンサーでキャッチし、それでモーターを回して歩行を可能にする技術です。この技術はつい最近、保険適用になりました。
特区を最大限に活用し「未病産業」を積極的に支援
―そうした政策を活性化させるため、神奈川県ならではの取り組みはありますか。
特区の活用です。まず、神奈川県全域が「国家戦略特区」に選ばれています。さらに、「京浜臨海部ライフイノベーション国際戦略総合特区」「さがみロボット産業特区」の2つの特区があります。前者はライフサイエンス分野の国際競争拠点、後者は生活支援ロボットの拠点にしているのです。
我々がヘルスケア・ニューフロンティア政策を進めることで、生み出そうとしているのが「未病産業」。そこで大事になってくるのは、商品化を進めるための出口戦略です。実証実験を行う際、規制緩和される特区があれば、商品化は加速していくだろうと。そのために特区を申請。結果、自由に商品開発できるエリア確保につながり、どんどん新しい製品が誕生しています。
ちなみに神奈川県では、未病産業関連の優れた商品・サービスを「ME -BYO BRAND」として認定しているのですが、昨年、スマートフォンで話している自分の声を自動的に分析して、健康状態(気分の変調)を測定するアプリサービス「MIMOSYS(ミモシス)」がブランド第1号として認定されました。
たとえ周囲に反対されても「未病」を発信し続けた
―改めて「ヘルスケア・ニューフロンティア政策」を神奈川県が行う意義を教えてください。
神奈川県には約910万人の人口があって、ほぼスウェーデンと同じ規模です。経済規模でいうとデンマークと同じくらい。つまりひとつの国レベルなんです。そこで神奈川県をひとつの国としてとらえ、ヘルスケア・ニューフロンティアという新しいモデルをつくる。それがひとつのモデルとして認められれば、日本全体が変わっていくのではないかと思っているんです。
私が最初に「未病という言葉を使う」と言ったとき、周囲全員に反対されました。「そんなこと言われてもなんのことかわからない」と。でも、わからない言葉は逆に「なんだろう」と関心を呼ぶ。だから未病でいいんだと「未病、未病」と言い続けた。その結果、かなりポピュラーになってきました。
県民世論調査によると「健康寿命を延ばすために未病というコンセプトは大事ですか」という問いに対し、「大事」と答えた人が85%におよんだ。未病という旗をガンガン振ると、産業界も反応してくれ、「未病産業研究会」というのをつくっているのですが、加盟企業は大手企業を含めて約350社にのぼります。その流れに乗りつつ、我々が重視していることがあります。
―それはなんですか。
国際的なダイナミズムを持ち込むことです。未病コンセプトで海外とコラボし、それをどんどん広めているところです。
最初にMOUを結んだのは、シンガポール。それがきっかけとなって、アメリカではメリーランド州やマサチューセッツ州、大学ではハーバード大学やスタンフォード大学。そのほか、フィンランド、イギリス、ドイツなどの各地でバーッとMOUを締結。そして、昨年の秋に「未病」サミットを開催したんです。未病は英語に訳せないんで「ME -BYO」という表記で。これがすごく好評で、サミットにWHOも参加してくれた。そのため、これからも2年おきに開催していく予定です。
こうして神奈川県が世界に「ME -BYO」を発信していくことで、ニッポンを変えるひとつの方策として世界規模で認知を図り、既成事実をどんどんつくって一気に変えていこうという戦略です。
―さまざまな政策を成功に導くためのポイントはなんでしょう。
つねに結果にこだわることです。自治体の職員はすごくまじめで一生懸命に仕事をします。ただ、予算が組み上がると、それで疲れ果ててしまう傾向にあります。しかし、本当の仕事はそこからなんです。たとえば、誘致する企業を増やそうとすれば、実際になにが必要で実際にどれくらい増えたのか。そうして結果にこだわることで、生きた政策につながっていくのです。