今村 寛いまむら ひろし
福岡地区水道企業団 総務部長。1991年福岡市役所入庁。2012年より福岡市職員有志による『「明日晴れるかな」福岡市のこれからを考えるオフサイトミーティング』を主宰し、約9年間で200回以上開催。職場や立場を離れた自由な対話の場づくりを進めている。また、2012年から4年間務めた財政調整課長の経験を元に、地方自治体の財政運営について自治体職員や市民向けに語る「出張財政出前講座」を出講。「ビルド&スクラップ型財政の伝道師」として全国を飛び回る。好きなものは妻とハワイと美味しいもの。2022年より現職。財政担当者としての経験をもとに役所や公務員について情報発信する「自治体財政よもやま話」(note)を更新中。
「パワハラと暴走(上)」では、今回の事件からわたしたちが学びとるべきポイントを洞察しました。ここでは他の自治体で同じようなことが繰り返されないためには何が必要かを深く考えます。
どの自治体でも起こりうる危険性
知事のパワハラ気質による独裁が原因で、副知事が辞任を表明した際に涙ながらに語った「知事を止めることができなかった」というのは真相なのでしょうか。それとも、もともと一部の幹部による密室での行政運営が常態化しており、この密室運営に対する知事の無関心と放任に加えて知事自身のパワハラ気質も加わり、数々の不適切な事案が積み重なっていったのでしょうか。
地方自治体の場合、自治体の向かう方向性や取り組みが市民の求めるものであり、人事権を持つ者がそれを正しく理解し、職員がその市民の求めるものに対して忠実に、誠実に、献身的に取り組むよう人事権を行使することで、組織全体が市民県民への忠誠を担保できるのであれば問題はなく大いに結構なことですが、今回起こった事案では「組織への忠誠」とは、誰に対しての忠誠かという部分に疑念を抱かざるを得ません。
首長への忠誠は、首長を選んだ市民県民への忠誠とイコールなのか。
まさか組織を陰で牛耳っている一握りのエリートたちへの忠誠が市民県民の付託に応えることにはならないはず。しかもその一握りのエリートたちが知事への忠誠心に基づいた行動をとっていたのかすら疑わしい状況が明らかになってきています。
組織への忠誠を誓う者たちが中枢に集められ、その同質性が濃く深く純粋培養されていった暁に、そこで煮詰められた価値観が組織外部と乖離したまま暴走する危険性は、どの自治体でも起こりうるのではないでしょうか。
その実態が市民県民に知らされることは少なく、今回のような事案が発生してもなお事態は闇の中なのは、こういった事案の真相を明らかにし、組織運営を正しい方向に導いていく責任ある立場の者たち自身がゆがんだ行政運営に手を染め、内部告発に対しても真相究明の責務を果たそうとせずに自らの保身に走っているからなのですが、それは人事権という組織統率の強大な権力を正しく発揮していくことの構造的な難しさを表しているのではないか、という懸念を持ち、恐ろしく感じているところです。
普遍的課題
今回の事案を知事や知事側近の個人責任として追及し断罪することを世の中の多くの人が求めている風潮がありますが、私は責任追及には興味がありません。
私が知りたいのは今回の問題がこの場所、このメンバーでしか起こりえないレアケースだったのか、それともどの自治体組織にも起こりうる普遍的な課題の露見だったのかという点です。
政治的な背景から行われるパワーハラスメントは行政運営そのものを歪める可能性があるという影響力からしても、また「政治=市民の期待」と受け止めざるを得ず一介の公務員が抵抗し難いという構造も含めて、他のパワハラとは次元が違うと感じますし、その問題の本質について、私たち公務員も自覚し、また広く役所の外の皆さんにも知っておいていただきたいと思います。
また、一部の幹部職員が権力を握って行政運営を歪め、市民の信頼に応えなくなってしまうということが、私たちの職場、組織で起こらないようにするには何が必要なのか、自治体職員のみならず、市民県民の皆さんもよく考えてみるいい機会だと思います。
私はこの知事の個人的資質を責め、この職を辞めさせて終わりではないと思っていますが、マスコミや議会などの論調は知事辞任への関心ばかりが高まっています。
知事の辞任で幕引きとなれば、政治的な力に抗うことができず、その機に乗じて官房の暗躍を許した組織風土は温存され、次の知事の選ばれ方やその政治的バランス、選ばれた知事のパーソナリティ次第ではまた同じことが繰り返されるでしょう。
それを阻止できるかどうかは今回県民が知事の首を取ることを目指すのではなく、一連の問題を阻止することができなかった組織内の課題を明らかにすることを求め、議会がそれに応えることしかないと思います。
「自治体の経営者」は住民
自治体の経営方針を変えることができるのは有権者しかいません。
知事を変えればよいというのは短絡的で、そのあとも組織が自浄していけるかを厳しく監視しなければまた同じことが繰り返されます。
これを先導する知事を新たに選ぶのも県民ですし、不適切な行政運営で不利益を被るのも県民ですから、県民はこの問題に無関心ではいられませんし、自治体の経営者として責任を持って監視していくことが必要だと私は思っています。
一日も早く県庁の皆さんが安心して働ける日が再び訪れますように。県民の皆さんが行政を信頼して安心して暮らせる日が再び訪れますように。
そして、同じようなことが他の自治体で起こり、職員や市民が苦しむようなことが繰り返されませんように。
『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』(公職研)の表紙カバー
『自治体の“台所”事情~“財政が厳しい”ってどういうこと?』(ぎょうせい)の表紙カバー
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