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自著書評(北九州市 職員・森 幸二)
法に明るい職員をめざして

自治体法務の基礎と実践 改訂版

プロフィール
森 幸二
《今回の「自著書評」の著者紹介》
北九州市 職員
森 幸二もり こうじ
政策法務、公平審査、議員立法などの業務に携わり、現在は北九州市 人事委員会 行政委員会 事務局調査課 公平審査担当係長。自治体法務ネットワーク代表として、全国で約500回の講演。各地で定期講座を実施中。著書に『自治体法務の基礎と実践』(ぎょうせい)、『自治体法務の基礎から学ぶ指定管理者制度の実務』(同)、『自治体法務の基礎から学ぶ財産管理の実務』(同)、『1万人が愛したはじめての自治体法務テキスト』(第一法規)がある。2023年10月に『森幸二の自治体法務研修~法務とは、一人ひとりを大切にするしくみ』(公職研)、2024年3月に『自治体法務の基礎と実践 改訂版~法に明るい職員をめざして~』(ぎょうせい)を出版。自治体通信Onlineで「法的ものの考え方を探して」を連載中。

みなさんは法務が好きですか? それとも苦手意識があったりします? 自治体通信Onlineの好評連載『法的なものの考え方』を探して」の筆者で、自治体向け法務研修等を500回以上行った実績がある北九州市職員の森 幸二さんがこのほど『自治体法務の基礎と実践 改訂版~法に明るい職員をめざして~』(ぎょうせい)を上梓しました。本書は一方的でお堅い(!?)法制執務や裁判手続きの解説書ではありません。自治体職員にとって、とても大切なことであるにもかかわらず従来の法律書には取り上げられていない「法的な考え方」や「法的な価値」にフォーカスしている、類書が見当たらない本です。もちろん、個々の法制度についても丁寧に解説しています。そんな本書のエッセンスや出版の想い等を森さんがお届けします。

住民のため、あなた自身のため

自治体職員のみなさんの中には法務が苦手だ、嫌いだ、という人も少なくないと思います。そこで、私がみなさんの「法務嫌い」の原因を明らかにしてみましょう。

みなさんは、条文の作成方法や裁判手続などの法的な知識を覚えることが法務を勉強することだと思っていないでしょうか。それは、とても大きな勘違いです。知識を覚えても法に詳しくなるだけです。詳しいだけでは、法を理解することはできません。

私たち自治体職員が目指すべきなのは法に明るい職員です。

法に明るくなるためには、法的な知識よりも、「法的な考え方」や「法的な価値」を身につけなければならないのです。

「法務って、そういうものじゃなかったんだ!」ということに気づいたとき、みなさんが持っている法務に対する苦手意識はなくなるはずです。

本書『自治体法務の基礎と実践 改訂版~法に明るい職員をめざして~』(ぎょうせい)で、まずは、そこから始めましょう。

 本 書 の 目 次 
  • 第1部 入門編第1章 ○○法や××条例を学ぶ前に(法的な考え方)/第2章 法の解釈適用~理論と実践~
  • 第2部 基礎編第3章 契約と行政処分のしくみ/第4章 行政指導のしくみ/第5章 条例・規則・要綱のしくみ/第6章 行政組織のしくみ/第7章 権限の委任のしくみ/第8章 委託と補助のしくみ/第9章 行政手続のしくみ
  • 第3部 実践編第10章 公有財産と公の施設のしくみ/第11章 指定管理者制度のしくみ~委託の方式・制度と委託できる範囲~/第12章 指定管理者制度の自主事業/第13章 債権管理のしくみ/第14章 債権の消滅時効のしくみ/第15章 自治体と職員の賠償責任
  • 第4部 重要事項編第16章 条例の効力と役割/第17章 行政処分のしくみ/第18章 契約のしくみと役割/第19章 法制度の理解~委託制度を例に~/第20章 法的な(ものの)考え方

自治体法務の世界には、まだ、人材が揃っていません。それは、勘違いをしたまま自分は法務に向いていないと勝手に思い込んでいる“あなた”がそこにいないからです。

住民のために、そして、あなた自身のために、法務を学ぶ輪の中に入ってきてください。ここでは、本書の最後の章につづっている「法的なものの考え方」の一部をご紹介します。(以下、本書より引用)

人に対する予断を持たない~児童虐待~

生涯学習センターで、児童福祉の権威であるA教授の講演会が行われています。A教授が、研究者特有の説得力のある強い口調で確信を持って語ります。
「子どものころ、親から虐待を受けた経験がある人は、自分が親になったら、自分の子どもにも、同じように虐待をしてしまう傾向があります。このような虐待経験者における必然的な行動様式は、『虐待の連鎖』と呼ばれています」
赤ちゃんを抱いた母親が質問します。「この子は私にとって、かけがえのない存在です。とても大切にしています。でも、私は子どものころ、母親にずっと虐待されて育ちました。ということは、先生のお考えでは、私は、いつかこの子を虐待してしまうのでしょうか。私には、自分がこの子を虐待するなんて想像もつかないのです」
もし、ここでA教授が、「今のあなたには、まだ、自覚がないだろうが、そのうち…」などと回答したら、A教授は、専門家としても、また、人としてもすでに終焉を迎えていることになるでしょう。それは、思いやりがなく残酷に真実を告げているからではありません。何の根拠もないことを言って、この母親の不安を煽っているからです。
「ある経験を持っている人は確実にこういうことをするはずだ」という考え方は、その人が、これから自分の努力で切り開いていこうとしている将来に対する否定、言い換えれば、その人そのものの社会における存在の否定を意味します。
過去における特定の人たちの行動を通して、その人が同じことをするという予断を持つことは、その人の将来をなくさせることになるのです。
人には、そうならないこと、ならないという意思を持つこと、そして、ならない人として扱われる権利があります。彼女の将来における彼女のありようは、彼女の意思と行動が「これから」決めることなのです。
ですから、仮に、過去において虐待を受けたすべての人が、自分の子どもにも虐待を行ったことが実証されたとしても、彼女が虐待を行うかどうかはだれも予測できませんし、予測すべきことではないのです。
そのように人を評価するのが「法的な(ものの)考え方」です。人を人として認めるというのは、そういうことです。「未来を自分の判断で決めることができる存在」というのが、法的な意味での「人」の定義(の一つ)であるはずなのです。
「虐待の連鎖」に限らず、社会学的な観点からの人の行動の予測は、それが特定の個人についてのものである限り、すべからく虚構です。何の根拠もないし、何の事柄にも奉仕しません。口にする価値もありません。
子どものころ虐待された経験を持つ人の中には、そのつらく悲しい経験を乗り越えて、さらにはその経験を糧に「自分の子どもには自分のような経験は絶対させない」という気持ちで、子どもと向き合っている人がたくさんいるはずです。
彼女もそうなのかもしれません。そうであるはずです。そうであると社会からみなされる権利が彼女にはあるのです。「虐待の連鎖」が、A教授が述べるように、社会における事実であったとしても、法的には、つまり一人ひとりの人にとっては、事実ではないのです。
A教授は、政策的には児童虐待の権威です。しかし、法的には、児童虐待について「何も分かっていない」のです。
だから、みんなで、自治体職員として、人として、A教授の見解よりも、このお母さんの意思を信じましょう。

平等とは何かを考える~貧困と格差~

保育料や給食費などの無償化が推進されています。対象は、すべての世帯です。しかし、所得制限のない施策は、法的に見れば、凸と凹それぞれの上に同じものを積み重ねるだけで、平等の形成には奉仕しません。
恵まれている人も含めたすべての人を対象にできる見込みが立たないと、困っている人たちが必要としている事業が実施されない現状があるとしたら、それは、特に子どもの貧困問題の解決にとって、大きな障害となります。
大好きなチョコレートを1枚もらったけれど、自分以外のクラスのみんなはチョコレートを2枚持っている状態は、自分を含めてクラスのだれもチョコレートをもらえないことよりも、その子どもにとっては辛いはずです。私たち大人とは違って、子どもにはプライドがあるのです。
本当の課題は、「チョコレートが1枚もない」ことではなく、むしろ、周りの子どもとの「枚数の差」なのです。「1枚でももらえればうれしいはずだ」「ないよりましだろう」は、人を人として評価していないことに由来する考え方です。
「チョコを持っていない子どもにチョコレートを!」という美名のもとに、格差の問題を最低保証の問題に、さらには、全体的な福祉の問題にすり替えてはいけません。
チョコレートを持っていない子どもが1枚目をもらうときに合わせて、すでに持っている子どもが、2枚目、3枚目、4枚目をもらうことを、法的には「焼け太り」と呼びます。

法的な価値を見極める~個性を活かす~

「その人の個性を生かす」、「自分のやりたいことを見つける」などの「人=個性」という考え方は、疑われることなく定着しているようです。決まり文句のように「個性」の必要性のようなものが肯定的に語られます。
しかし、場所を小学校の教室に移動して考えてみましょう。社会のみんなが、自分の個性に合った自分のやりたいしごとだけをしていたら、だれもやらないしごとが出てきはしないでしょうか。
コックピットに操縦士が6人いて、キャビンアテンダントも8人搭乗しているけれど、整備士さんがいなくて、10年以上、点検していない飛行機に乗るのは、スリリングです。
人にしごとを合わせるのではなく、しごとに人を合わせなければならないはずです。
夜間は道路工事も多く、夏の暑い中、また、冬の寒い中、通行規制のために誘導を行っている現場作業員の人たちを見かけます。
その人たちがいなくなれば、たちどころに、社会のみんなが困ります。工事現場での誘導は、その人たちにしかできないことだとはいえないでしょう。でも、その人たちには絶対にそこにいてもらわなければなりません。
個性とかやりたいこととか、そういうことではなく、だれかがやらなければならないことを確実にやっている人こそ、社会の役に立っていると、法的には(平等でよどみのない偏見のない見方からは)考えられます。
法的な価値とは、専門性とか独自性とかそういうものではないのです。どれだけ、社会に役に立っているかです。自分のこだわりで、長い時間をかけて作り上げた何かのマークや計画書の類は、その価値において、道路工事の現場で車を誘導する警告灯の一振りに敵わないのです。

制度ではなく人~自治体防衛軍~

心や体を患って長期の療養をする職員には、病気休職(分限休職。地公法28 条2項)の制度があります。アスペルガーや発達障害の特性がある職員には、異動などでの配慮が行われています。
また、彼らとはその存在の経緯や意味が全く違いますが、職員として必要な能力に欠ける職員、努力を惜しむ習慣がある職員、さらには、主観的な不満やわがままを、正当な手続きにのせて主張する職員に対しても、一定の対応がなされています。
でも、このような組織の管理や人材の活用に必要な制度や措置が根づいたとしても、休職者や要配慮者が担当しているしごとがなくなるわけではありません。だれかが、彼らのしごとを彼らに代わってしなければならないことは、だれも否定できない事実です。
能力や心身や性格や人格の状況にかかわらず、それぞれの職員が一定の役割を果たし、機能できるのは、休んだ人やできない人やしない人や余計なことをする人に代わってしごとをしている職員の成果です。
代わってしごとをしている人たちを地球防衛軍になぞらえて「自治体防衛軍」と呼ぶことにしましょう。彼らがいないと自治体は一日たりとも存在し得ないからです。 彼らは、昇任や自己実現のために働いているのではありません。そこにやらなければならないことが残っているから、それに向き合っているのです。それが彼らのプライドです。彼らを育てた人たちに、ぜひ、会ってみたいものです。
どんなことでも、現状を支えているのは、制度ではありません。人なのです。

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