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「国家戦略特区」をフル活用し、中山間地の地方創生モデルを目指す

「国家戦略特区」をフル活用し、中山間地の地方創生モデルを目指す

兵庫県養父市

養父市が取り組んだ農業を中心とした改革とは

「国家戦略特区」をフル活用し、中山間地の地方創生モデルを目指す

養父市長 広瀬 栄

※下記は自治体通信 Vol.22(2020年2月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。


平成26年、東京圏、関西圏、新潟市(新潟県)、福岡市(福岡県)、沖縄県と並んで養父市(兵庫県)が国家戦略特区として指定され、話題を呼んだ。「中山間農業改革特区」という位置づけで、人口約2万3,000人の小規模自治体である養父市が、どのような改革に取り組んだのか。市長の広瀬氏に、国家戦略特区に手をあげた背景も含めて聞いた。

後継者がおらず、耕作放棄地が増えていた

―国家戦略特区に手をあげた背景を教えてください。

 養父市の根幹とも言える、農業を守るためです。

 近年、当市の農業は人口減少と高齢化により、衰退の一途にあります。約50年前は約3,000ha(ヘクタール)あった農地が、現在は半分の約1,500ha。農業従事者は、約6,000人から約2,400人にまで減少しています。平均年齢は71歳。若者の後継者もおらず、耕作放棄地が増えて、どんどん土地が荒れていっているんです。

―状況は深刻ですね。

 ええ。養父市の成り立ちを考えた際、やはり農業は必要不可欠なんです。先人が中山間地という非常に条件の悪いところで人のチカラで開墾して水を引き、稲をつくってきた。そこに家が建ち、集落ができ、鎮守の社を祀って豊作を祝い、祭りを行ってきた。それが、養父市の生活や文化の元になっているんです。

 ですから、その農業がなくなるのは、まちの誇りと住む意義がなくなることと同義だと私は考えているのです。そのため、農業をベースにしたまちづくりが、養父市の地方創生につながる、と。

 さらに、元気な高齢者が社会の担い手として活躍できる環境づくりも必要。そうした課題を解決するには、いまある日本の制度を見直す必要がある。それで、国家戦略特区に参画したわけです。

農業従事者の一員として、企業が地域に歓迎された

―国家戦略特区に指定された後、どのような取り組みを行っているのですか。

 ひとつは、市の農業委員会に対し、「農地取得を許可する権限を市長にゆだねてほしい」とお願いしました。権限が農業委員会にあったとき、外部から農業に参入するには非常にハードルが高く、特に企業が参入するのは難しかったのです。私は、個人だけでなく、企業も農業の新しい担い手として必要だと考えていました。農業の可能性を広げるには、企業の技術力や資本力は重要ですから。

 そこで、権限移譲後に「農業生産法人の要件緩和」を実施。企業が、農業に参入しやすくなるようにしました。結果、大企業やベンチャー企業も含め、13社の企業が当市の農業に参入しました。

―結果につながったわけですね。

 そのとおりです。さらにそこから深掘りし、従来は企業が単独で農地をもつことはできませんでしたが、「企業による農地取得の特例」の実施により、それを可能にしました。そうすれば、企業が自由に農地を使えるほか、長期的・安定的な事業展開が望めますから。この特例を使い、現在は5社が独自で農地を所有しています。

―そもそも企業の参入に対し、農家から反発はなかったですか。

 むしろ、新たな農業従事者の一員として歓迎していますよ。最初のうちは、「廃材置き場や宅地にされるのではないか」と不安に思っていたかもしれません。しかし、農家の人たちも「このままでは自分たちの世代で農作が終わってしまうかもしれない」という危機感があったと思います。そこで企業が「我々がしっかり耕します」と。

 さらに一緒になって汗をかくうちに、徐々に信頼関係を築いていったのです。企業と農家の間に立って話し合いを行った、職員のチカラも大きいと思いますね。

 ある集落では、農地の5、6割が耕作放棄地になっていました。そこに企業が入ったことにより、すべての農地が蘇った。さらに、企業の従業員である若者が、農業をやるために移住をしてきて、地域全体が若返ったんです。徐々にですが、こうした事例ができつつあります。

―定量的な成果があれば教えてください。

 現在、13社の企業が耕している農地の面積は約50haあります。そのうち、耕作放棄地が再生できた農地が約22ha。さらに、13社合計で約90人の新規雇用が生まれています。そして、平成30年度の総生産売上額が約2億円。まだ本当に試行段階ですが、少しずつ軌道に乗りつつあるということですね。

数々の規制を緩和し、新しい取り組みを実行

―ほかに取り組んでいることはありますか。

 たとえば、「農家レストラン」があります。農家レストランを農業用施設とみなす特例をつくり、自己または養父市で生産された農畜産物を使用するという条件でレストランを農用地区内で設置できるように。そして、令和元年7月に1号店が開設。オープン以降、毎日予約でいっぱいだそうです。

 また、古民家を利用した旅館事業もあります。かつて養父市では養蚕が盛んだったのですが、歴史的建造物でもある養蚕農家の空き家を活用し、宿泊施設として整備。開設しやすいよう、規制緩和で玄関帳場、つまりフロントがなくても開設できるようにしました。こちらは、平成27年に1軒オープンしています。

 さらに、高齢者が働ける環境としては、シルバー人材センターの規制緩和を行っています。会員は労働時間が週20時間に制約されていますが、それを40時間にまで延長できるように。派遣先の一部は、農業に従事している13社もかかわっています。


AIやIoTを活用し、利便性・快適性を高めていく

―国家戦略特区における、今後のビジョンを教えてください。

 今後は「スマート農業」にも取り組み、農業の改革を進めていきます。現在、地元の農家と企業、農林水産省の外郭団体、大学と連携しつつ、スマート農業の実証実験を行っているところです。

 そのほか、自宅や職場にいながらテレビ電話で医師の診察や薬剤師の服薬指導を受け、処方薬を受け取れる仕組みづくり。あるいは、タクシー会社と連携し、地域のみなさんのマイカーを活用して市民や観光客の移動をサポートする「マイカー運送」など、国家戦略特区をフル活用しています。

―本当にさまざまな取り組みを行っていますね。

 なにもしないままでは、未来はありませんからね。養父市は農地をはじめとして自然豊かですが、それだけでは人は住んでくれなくなります。だからこそ、AIやIoTなどを活用して利便性や快適性も高めていく必要があるのです。

 農業をしっかりと維持しつつ、快適に暮らせる環境を整えていく。中山間地における地方創生のあり方として、養父市がそのモデルになっていきたいと思っています。


広瀬 栄 (ひろせ さかえ) プロフィール
昭和22年、八鹿町(現:養父市)生まれ。昭和46年に鳥取大学農学部農業工学科を卒業。民間企業を経て、昭和51年、八鹿町役場(現:養父市役所)に採用される。八鹿町商工労政課長、企画商工課長、建設課長を歴任し、平成16年に養父市都市整備部長、平成17年、養父市助役に就任。平成19年、養父市副市長に就任する。平成20年、養父市長に就任。現在は3期目。
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