応急対応で痛感した情報伝達手段の重要性
―東日本大震災では大変な被害を受けました。
ええ。東松島市では1100人を超える尊い命を亡くしました。沿岸部に海抜の低い地域が広がっているため、津波で市街地の3分の2が浸水。被災地のなかでは最大の浸水域となりました。その結果、全世帯の70%以上におよぶ約1万1000戸が全半壊したのです。
―被災直後から陣頭指揮をとってきた救援・復旧作業はどのように進めてきたのですか。
この地域は昭和53年の宮城県沖地震、平成15年の宮城県北部連続地震と、過去2度の大地震を経験しています。その経験から、人命救助やガレキ処理、避難所運営といった「応急対応」の進め方が肝要と考え、住民本位の対応を徹底してきました。応急対応をていねいに進めなければ、被災者との感情的なあつれきを生み、その後の復旧・復興の障害になりかねないからです。その応急対応を進める際、もっとも重要性を痛感したのが、「確実な情報伝達手段」でした。
デジタル化で機能し始めた防災無線システム
―どういうことでしょう。
応急対応を迅速かつ的確に進めるには、正確な情報把握が大前提となります。公共の通信回線が使えないなか、自営の移動系防災無線システムを通じて情報を取得していた職員は被害状況を確認し、住民を誘導。避難所の設営・運営から関係各所への支援要請などに奔走してくれました。しかし、当時の無線はアナログ方式だったため、輻輳(※)が激しく、情報がうまく伝達できない場面がありました。
また、やりとりされる情報のなかには、不正確なものや漏れてはいけない個人情報も含まれています。無線音質が悪いため音量を上げると、それらの情報が漏れてしまい、一部の避難所で混乱を招いた場面もあったと聞きます。
そうした問題を抱えていたとき、モトローラ・ソリューションズ社から移動系デジタル防災無線の無償供与の打診を受けたのです。すぐに導入を依頼しました。
※輻輳(ふくそう) : 通信が一度に集中して通信回線がパンクし、通話ができなくなる状態
―状況はどう変わりましたか。
つながりやすくなったことで、防災無線がよりいっそう機能しはじめました。音質がクリアなため、通話内容の錯誤もなくなり、職員間の情報伝達は格段にスムーズになりました。それを機に、その後の応急対応も効率化できました。
この経験からデジタル防災無線の有用性を強く認識したわれわれは、その後2度にわたり設備の増設に踏み切りました。現在は基地局3局で市内全域をカバーし、計147台の端末が市職員だけでなく指定避難所、病院、消防団などにも配られ活用されています。
「情報共有がすべての始まり」
―被災から丸6年。復旧・復興事業の進捗はいかがですか。
デジタル防災無線が支えた応急対応の成果のおかげで、東松島市の復旧・復興事業はいま、順調に進んでいます。その原動力となっているのは「住民の力」です。じつは、東松島市内の避難所はすべて地域住民が直接運営してきました。また、被災した住宅の集団移転先を決定したのも住民自身です。そのような自治体は被災3県で東松島市だけでしょう。まさに、震災以前から力を入れてきた「住民自治」「地域内分権」という市政方針が結実したかたちです。
―防災対策に力を入れる自治体にメッセージをお願いします。
通信回線が途絶する大災害時にも、独立して機能するデジタル防災無線がいかに重要か、われわれは身をもって実感しました。使える情報伝達手段の有無は応急対応ばかりか、その後の復旧・復興事業においても大きな効果を発揮します。「情報共有がすべての始まり」。これが未曽有の震災からわれわれが得た貴重な教訓です。