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先進事例2020.08.18

事例をもとに「地域経済循環分析」を学ぶ【水俣市、横浜市の事例】

事例をもとに「地域経済循環分析」を学ぶ【水俣市、横浜市の事例】

熊本県水俣市 /神奈川県横浜市 の取り組み

地方創生の切り札になるか

事例をもとに「地域経済循環分析」を学ぶ【水俣市、横浜市の事例】

元 水俣市 総合経済対策課 課長(現:国保水俣市立総合医療センター 事務部次長) 松木 幸蔵
横浜市 温暖化対策統括本部 企画調整部担当部長 大倉 紀彰

平成26年に第二次安倍改造内閣が発足するとともに打ち出された「地方創生」。国・自治体が一体となり、全国各地で地域経済再生政策が繰り広げられてきた。企業誘致を通じた雇用創出や観光産業の振興は、その典型的な事例だろう。しかし、それらの成功事例とされるなかには、以下のような例が実際にある。

[A市の場合]
先端企業Xを中心とした企業城下町のA市。地元経済を支える存在であるX社へは、自治体も積極的な助成を展開。その成果もあって、X社の業績は好調で、地域の雇用も安定。にもかかわらず、地域経済は低迷を続けており、住民にも豊かさの実感はない。

[B市の場合]
自治体による積極的なPR戦略が奏功し、観光政策の成功事例として知られ始めたB市。ここ数年、観光入込客数は右肩上がり。一方で、B市が重視している住民の平均所得に変化は見られていない。

両市で起こっていることは、全国約1,700ある自治体の多くが感じているであろう地域経済振興策の難しさを物語っている。原因はなんなのか。その解決策はあるのだろうか。

※下記は自治体通信 Vol.19(2019年8月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。

熊本県水俣市データ

人口: 2万4,467人(令和元年6月末現在) 世帯数: 1万1,763世帯(令和元年6月末現在) 予算規模: 344億5,332万円(令和元年度当初) 面積: 163.29km² 概要: 熊本県の南端、鹿児島県北県境に位置し、北から北東にかけて葦北郡津奈木町、芦北町、球磨郡球磨村、南から南東にかけては鹿児島県出水市、伊佐市に接しており、西は八代海(不知火海)に面している。不知火海を望むリアス式海岸の美しい湯の児海岸や、深緑に囲まれた湯の鶴七滝、歴史情緒あふれる温泉街、環境をテーマとした施設など見どころが多い。

神奈川県横浜市データ

人口: 374万8,433人(令和元年7月1日現在) 世帯数: 170万8,884世帯(令和元年7月1日現在) 予算規模: 3兆7,048億円(令和元年度当初) 面積: 437.56km² 概要: 神奈川県の東端に位置する、東京特別区に次ぐ第2位の都市。市中心部から東京都心部までは、約30km。日本を代表する国際貿易港である横浜港を基盤として、首都圏の中核都市としての役割を担っている。

「生産」「分配」「支出」三面で経済構造をとらえる

「地域経済循環分析」という言葉をご存じだろうか。日本政策投資銀行グループの価値総合研究所が開発し、いま国が推奨する新たな地域経済の分析手法である。基本的な特徴は、「生産(販売)」「分配」「支出」の3つの側面で各自治体や圏域の経済構造をとらえるところにある。

図をご覧いただきたい。地域経済循環分析の概念を図示したものだ。ここでいう生産は、地域の企業や事業所が生産・販売で稼いだ所得を示す。この所得は家計や企業に分配される。分配された所得は、消費や次の生産・販売に向けた投資として支出されるのが経済の流れだ。

現実の地域経済では、国や都道府県からの補助金や交付金といった財政移転、さらには域外からの投資なども生じる。地域経済循環分析では、こうした域外からの所得の流出入も加味することで、実態を正確に反映した分析を可能にしている。このような所得の流れによって地域の経済構造を俯瞰的にとらえ、地域経済の強みや弱み、さらには課題を把握するために開発された手法なのだ。

全国約1,700の自治体の基礎データを揃える

地域経済循環分析が開発された背景に、「従来の経済政策が住民の豊かさにつながっていないとの問題意識がある」と語るのは、民間の研究所において地域経済循環分析を駆使して自治体の政策立案を支援している専門家だ。

「自治体の経済政策を取り巻く環境は大きく変化し、たとえば、産業構造の変化や製造業の衰退などにより、従来の企業誘致や地元企業への助成が、かならずしも地域経済の成長につながらなくなっているという現実があります。また、郊外の大型ショッピングセンターやロードサイド店の出現で、地域で生まれた所得が域外に流出する構造が加速しています。この結果、経済政策の成果を『地域住民の豊かさ』につなげにくい状況が生まれているのです。ですから、真に政策の実効性を上げるためには、経済循環の視点からいまいちど地域経済の健康診断を行い、その分析結果にもとづいた政策を実施することが重要なのです」と専門家。

地域経済の精密な健康診断には、自治体単位の正確な基礎データが必要だ。そこで価値総合研究所では、分析に必要な全国約1,700の自治体における経済活動データを揃え、同じ基準、フレームで分析する仕組みを日本で初めて構築している。

以下のコンテンツからは、この地域経済循環分析を実際に活用し、地域の経済構造を把握し、地域経済再生政策の立案につなげた自治体の事例を紹介する。

 

客観的データによる正確な経済分析で、実効ある地域振興策を展開できた

地域経済循環分析を国内で初めて活用した自治体は、水俣市(熊本県)である。水俣病の被害からの再生をめざした同市が、環境省とともに経済再生計画を立案・実施する過程で基礎調査として行ったのが、のちの地域経済循環分析に発展する。当時、水俣市の総合経済対策課 課長として、水俣市経済の分析に携わった松木氏に、その経緯や効果などを聞いた。

経済の健康診断が必要だ

―水俣市が地域経済循環分析を使った経緯を教えてください。

ご存じのとおり、水俣市は公害に苦しんできた歴史があります。公害発生後、地域コミュニティは崩壊し、経済は低迷、人口は減少するといったなか、「もやい直し」を合言葉に、内面社会の再構築に取り組んできました。立場の違う住民同士による地道な対話を通じて対立構造を乗り越え、環境再生・創造を軸にした水俣づくりを実践。最後に残った課題が経済の再生でした。

―経済政策では、どのような施策を実施してきたのでしょう。

環境を前面に押し出した産業政策に力を入れてきました。平成13年には経済産業省と環境省が推進した「エコタウン地域」に承認され、多くの環境産業の誘致に成功しました。しかし、住民は豊かさを享受できず、市街地の衰退に歯止めがかからない。「なにが原因か」との疑問を抱えるなか、まちづくりで協働していた環境省と熊本県の支援で、平成23年度から原因究明のために経済の健康診断をすることにしたのです。

チッソ(現:JNC)の企業城下町である水俣市では、「チッソがなければダメだ」との市民の想いがあり、市の環境・経済政策に懐疑的な見方もありました。その想いは正しいのか、それを客観的に調べる目的もありました。

―そこで導入されたのが、地域経済循環分析だったのですか。

いいえ、まだそのような手法はありませんでした。そこで、当時事業の委託先であった民間研究所とともに、市独自の市民経済計算と産業連関表を作成。生産‐分配‐支出にわたる域内経済循環を詳細に分析したのです。これが、のちの地域経済循環分析のプロトタイプになりました。

根強い固定概念からの脱却は、経済再生への大きな一歩

―健康診断の結果、どのようなことがわかったのですか。

まずは、生産額ではJNCグループが大きかったこと。一方で、雇用者所得では医療・福祉産業の比率も予想以上に高く、JNCを上回るほどでした。「JNCがなければダメだ」という想いは、生産額においては正しかったのです。結果、JNCがなければ、市内企業など水俣経済に大きな影響がおよぶ可能性があることがわかりました。

ほかにも、消費は隣町などの郊外店に流出し、市街地の衰退につながっていること、市内金融機関の預貸率が30%未満と県下最低水準であることも判明しました。

―それらの結果は、どのように政策に反映されたのでしょう。

平成24年度から、まずは強い産業を育成する目的で、市内の中小企業を内外へPRする活動を開始。市内には、JNCからの業務請負を通じて高い技術力を育んできた企業も数多くありましたから。ほかには、域外からの消費流入を目的に、観光産業を支援。民営化後、乗降客数が低迷していた「肥薩おれんじ鉄道」に観光列車「おれんじ食堂」を導入し、水俣の食材も提供。温泉地での物産館整備や地場産品の販促にも力を入れました。その結果、乗降客数は増加に転じ、観光収入も改善しました。

さらに、市内事業所の環境関連投資を促進するべく、市が3年間、利子と保証料を100%負担する金融政策を実施。結果、省エネ投資やエコカー導入など市内金融機関による域内投資額を増加させることができました。

―経済の健康診断によって実感する効果を聞かせてください。

なんとなく思っていたことが数値によって市の強み・弱みとして判明したことで、固定概念に支配されず、実効的な政策を実施できたことは水俣市の経済再生にとって大きな一歩だったと感じています。

 

全国一律の統計データは、正確な産業構造の理解を助ける

水俣市での成功を受け、国はその後、地域経済循環分析を全国の自治体に推奨。多くの自治体で導入されている。横浜市(神奈川県)もそのひとつだ。横浜市では、同手法を通じた分析結果を、経済振興策のほか、環境政策にも反映している。そこで同市で温暖化対策を担当する大倉氏に、地域経済循環分析の活用状況を聞いた。

分析によって生まれた、産業構造転換への危機感

―横浜市では現在、地域経済循環分析をどう活用していますか。

経済政策立案のための基礎データのほか、温暖化対策本部で進めている「脱炭素経済への移行検討」の基礎データとして活用しています。地域経済循環分析では、横浜市の比較優位産業は石油精製業のほかゴム製品、電力産業となっています。横浜市は近隣に東京が存在しているため、化石燃料系産業が強い。特に、その依存度が想定以上に大きいことが、今回の分析で浮き彫りになりました。

―その発見は横浜市にとってどのような意味があったのでしょう。

パリ協定が発効し、世界が脱炭素化に向かうなかで、産業構造の転換リスクが他都市と比べても横浜市は特に大きいことが正確に把握でき、必要な危機感をもつことができました。「脱炭素経済への移行検討」事業を発足できたのも分析の成果でした。地域経済循環分析を産業構造転換の議論につなげているのは、横浜市が初めてと聞いています。現在は関連部署も参画し、脱炭素経済に向けた市のビジョンを議論し始めています。

―横浜市にとって地域経済循環分析を活用した利点はなんですか。

全国一律のデータを活用できるので、他都市との比較が可能になることです。いままで以上に、産業構造や生産性などに対する正確な理解が生まれ、政策に反映することができます。政令市の場合、国の産業連関表をもとに市の産業連関表を作成していますが、各自治体がそれぞれの基準で調整するため、従来は他都市との正確な比較は難しかったのです。

環境政策への応用は、重要な活用法

―地域経済循環分析は環境政策に応用することもできるのですね。

ええ。私が環境省在籍時代に開発に携わった立場として説明すると、地域経済循環分析とは、過去に環境省が算出してきた各自治体のCO2排出データを活用して推計した市町村版GDPといえます。市町村の経済統計を算出するうえで、もっとも難しいのは越境統計の把握です。そこで、経済行為を財・サービスの移動と捉え、それを輸送時のCO2排出量をベースに推計しようというのが地域経済循環分析の考え方です。これを環境省と民間研究所が開発したのも、エネルギー関係の域外漏出額が把握できる点など「温暖化対策は産業育成につながる」という視点に気づいてもらうため。その意味では、環境政策への応用は地域経済循環分析の重要な活用法です。

地域経済循環分析解説

生産‐分配‐支出という3つの視点から地域経済を包括的に分析する地域経済循環分析。この新たな手法は、いかにして活用するものなのか。ここでは、開発元となる価値総合研究所による解説を交え、利用方法やデータの読み解き方、さらには分析にあたっての重要な視点などを探る。

環境省が無料公開する「自動作成ツール」

地域経済循環分析は、いまや国によってその効果を認められ、広く全国の自治体での活用を推奨されている。環境省のホームページでは、自治体名を指定するだけで「所得の循環」や「産業構造」といった地域経済の代表的な指標をパワーポイント(PPT)ファイルでえられる簡易版「地域経済循環分析自動作成ツール」が無料公開されている。同ツールが示す分析項目は、生産面では「比較優位な産業」や「域内で絶対優位な産業」など。分配面では、生産から分配までの所得の流出入や地域経済の自立性など。支出面では家計の消費や企業の設備投資とその流出入などが示される(下図参照)。

この分析の特徴について、前出の民間研究所の専門家はこう語る。

「最大の特徴は、全国一律の基準ですべての自治体の詳細な経済データを揃えている点です。従来は県単位でしか作成されていなかった『産業連関表』や、住民の経済活動状況を推計した『地域経済計算』を全国約1,700の自治体単位で算出できたことが、同じフレームワークで地域経済を分析することを可能にしているのです」

データ解読に重要な5つの視点

利用者はこの分析結果から、なにを読み取ることができるのか。えられた分析データを読み解くにあたり、以下の5つの視点が重要になると専門家は指摘する。

視点①生産面:域外から所得を稼げる、強みのある産業はなにか。
視点②分配面:域内企業がえた所得が、域内住民の所得になっているか。
視点③消費面:域内住民などの所得が、域内で消費されているか。
視点④投資面:域内企業などの所得が、域内に投資されているか。
視点⑤域際収支面:域内の所得が、域外へ流出していないか。

この5つの視点で数値を解釈することで、域内の循環を促す地域経済の「強み」と、逆に循環を遮る「弱み」を導き出せるという。

たとえば、本稿冒頭で登場したA市の場合、誘致企業のX社は東京資本の大規模工場であり、地域企業との取引は少なく、売上の多くを本社が回収してきた。つまり、経済循環の観点では生産→分配の段階で流出が起こり、地域の支出には回っていない構造である。この弱みを解消するには、地域企業との連携強化に助成を行うことで生産→分配の流れを補強する。さらには、地域金融機関を通じた融資を強化して支出→生産への流れを強める支援策が有効と考えられる。

また、観光振興に力を入れるB市の場合は、域外資本の商品やサービスに依存した構造が支出の流出を招いていた。その場合は、地域内での商品の開発・製造に助成を行い、支出の域外流出を止める施策が有効となるだろう。

こうしてみると、単に誘致企業を支援して生産面を強化したり、観光客数を増加させたりする施策は、地域振興にとって必要条件のひとつに過ぎないことがわかる。

小規模自治体ほど発見が多い

専門家は、地域経済循環分析を活用する効果について、こう強調する。 「この手法は、地域の閉鎖構造をめざすものでも、地域間のゼロサムゲームを助長するものでもありません。目的は、地域の強い産業を活かし、地域間の交易を活発化させること。産業立地も目立った観光資源もない小規模自治体は、『地域に強みがない』と思いがちですが、この手法で圏域を分析してみると、一定の役割を果たしている場合が多いのです。かならず比較優位の産業はあるものなのです」

同ツールでは、自治体ごとの分析にくわえ、複数の自治体を同時選択してひとつの圏域としてまとめた分析も可能だ。地域経済循環分析では、小規模自治体ほど、従来の先入観や固定概念を覆す新たな発見がえられやすいと言われている。

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