復興計画に盛り込んだ3つの原則
―東日本大震災から7年以上が過ぎました。岩手県の復興に向けての取り組みを教えてください。
発災直後は、救命活動や避難活動、避難所の運営といった喫緊の災害対応に取り組んでいましたが、1ヵ月後の4月11日にそれと平行して「がんばろう!岩手」を宣言。全国、そして世界中からいただいたお見舞いや励ましを糧に、県民みんなでチカラをあわせ、希望に向かって一歩ずつ復興に取り組んでいくことを誓いました。同時に、「岩手県東日本大震災津波復興委員会」を立ち上げ、復興計画の策定をスタートさせたのです。
大震災津波から5ヵ月後、復興計画ができました。そのなかで、復興に向けた3つの原則を明記。それが、「安全の確保」「暮らしの再建」「なりわいの再生」です。
「暮らしの再建」では、住宅を再建するほか、病院や学校など生活環境の復旧を図る。「なりわいの再生」では、水産業を中心に商工業、観光業などの再生を進める。さらに、また暮らせるように、働けるようにするには「安全の確保」が重要。そこで、壊れた防潮堤を始め、防災施設を再建・強化するとともに、災害に強い交通ネットワーク構築を進めました。
応急仮設住宅に住む人などの心と身体のケアが重要に
「暮らしの再建」については、宅地の供給は今年の3月時点でようやく8割が完了。もち家を再建する余裕がない方は、災害公営住宅の賃貸に入っていただくわけですが、こちらは9割が完成というところまできました。完全に使えなくなった県立病院3つは、すべて建て直しが完了し、再オープンしています。学校は86校中、85校が完成。残る1校は今年中に完成する予定です。
ただ、いまだに岩手県だけで5400人を超える住民の方々が応急仮設住宅などでの生活を強いられています。そういったみなさんの心と身体のケアを始めとする生活支援はますます重要になっていますね。
「なりわいの再生」では、一時は漁船や漁業施設がほぼ壊滅した水産業ですが、復旧はほぼ完了しています。サケやサンマ、スルメイカが記録的な不漁で漁獲量が減っているという悩みはありますが、体制としては復活したといっていいでしょう。商業関係は、仮設の商店街や飲食店街から本設への移行がかなり進んでおり、それらが集まった大規模商業施設も次々とオープンし、受け入れ体制は整いつつあります。
―「安全の確保」はどうですか。
防潮堤などの復旧・整備については、現在のところ計画ヵ所134ヵ所のうち、51%で整備を完了しています。交通ネットワークにつきましては、三陸地域を南北につなぐ縦貫道、そして「宮古~盛岡」「釜石~花巻」の内陸と沿岸地域を結ぶふたつの横断道の整備を進めているところです。これらが完成すれば、地元の人たちにとって便利になるのはもちろん、釜石港から荷物を運んだり、観光客が周遊しやすくなるなどのメリットがあります。この交通ネットワークが今後、三陸沿岸の大きなチカラになるでしょう。
岩手県が一丸となって三陸を国内外にアピール
―来年には「三陸防災復興プロジェクト2019」が開催されるそうですね。どのような取り組みでしょうか。
来年にJR東日本山田線の「宮古~釜石」間が復旧完了したあかつきに、三陸鉄道に経営移管することが決定。そうすると、三陸鉄道が北から南まで一本につながり、日本でいちばん長い第三セクター鉄道として生まれ変わります。これを大々的にPRするとともに、地域資源を発掘して魅力を伝える。さらには、復興のさなか、教訓になるような震災遺構や防災関連施設などを紹介する教育旅行を企画する。それによって、三陸を改めて国内外にアピールして多くの人に注目して来てもらい、それを復興のチカラとすると同時に地域振興にもつなげていこうというものです。
具体的には、来年の6月から8月まで68日間にわたり、沿岸部の13市町村を会場としてイベントやシンポジウムを行う予定です。県内の全市町村が実行委員会を担っているので、岩手県をあげて取り組むプロジェクトだといっていいでしょう。来年は、ラグビーワールドカップが釜石で開催されることからも、大きなチャンスだと考えています。
沿岸と内陸の両軸で域内の活性化を図る
―達増さんが行政を行ううえで重視していることはなんでしょう。
県職員にもよくいっているのですが、知事の仕事は「知ること」に尽きるということです。「知る事」、つまり知事なんです。そして、知事だけが知っていればいいのではなく、県職員一人ひとりが知事になったつもりで、岩手がいまどうなっているのかを知り、誰がどこで困っているのかを知り、どうすればそれを解決できるかを知る。そうすれば、あとはそれを実行に移すだけでいいのですから。
知ることについては、歴史を含めて知ることも大事です。たとえば、人口減少問題。将来の推計数値をみて、人口減少のトレンドが続くものとして考えられがちです。人口の自然減は、すぐにどうなるものではありません。ただ社会減をみると、地方から東京への一極集中というのは年や時期によってまったく異なります。高度成長期は一極集中が高まり、1970年代は地方回帰がトレンド。バブルでまた東京への流れが高まり、1990年代は地方回帰。いまは東京一極集中が高まる傾向にありますが、経済政策によって人口移動の傾向を大きく変えることは可能なのです。そういったことは、歴史を振り返るとわかるものなのです。
―今後の行政ビジョンを教えてください。
沿岸については、先ほど話した復興の流れのなかで「三陸防災復興新時代」というような地域づくりが可能だと思っています。一方、内陸にかんしては、大手企業が大規模な新工場をつくることが決定するなど自動車や半導体の生産が増え、雇用が増えるトレンドに。そこで「北上川流域産業・生活革命ゾーン」という旗を掲げ、「岩手に残って働く、帰って働く、やってきて働く」という流れをつくっていこうとしています。
沿岸の「三陸防災復興新時代」、内陸の「北上川流域産業・生活革命ゾーン」の両軸で、岩手を活性化させていきたいですね。