震災復興の歩みのなかで気仙沼市が掲げるまちづくり戦略
人材育成を基軸にした地方創生で、中規模都市のロールモデルを示す
気仙沼市長 菅原 茂
※下記は自治体通信 Vol.47(2023年2月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。
東日本大震災による甚大な被害からまもなく12年。この間、被災地では着実に復旧・復興の歩みを続ける一方、人口減少や地域経済の低迷といった課題も顕在化しており、今後の地方創生のかじ取りが大きく問われている。そうしたなか、被災自治体のひとつ、気仙沼市(宮城県)では、「人から始まる地方創生」を理念に掲げ、地方創生戦略の基軸に「人材育成」を置く独自の取り組みを進めている。これらを主導する市長の菅原氏に、政策の狙いや成果、さらには今後の市政ビジョンなどを聞いた。
加速度的に進む人口減少下で、自治体に委ねられる産業政策
―4期目に入ったいま、これまでの成果をどう振り返りますか。
私は平成22年4月の市長就任から11ヵ月目で東日本大震災を経験したことから、この13年間のほとんどは復旧・復興にまい進してきたと言えます。復興事業の進捗では、ハード面は99%完了したと見ていますが、ソフト面はまだ75%程度でしょうか。国が定める第2期復興・創生期間の令和7年度までに、このソフト面を中心に被災者支援に引き続き力を入れ、地域包括ケアシステムへとつなげていくことが今後の道筋になります。
一方で、この復興事業の過程で露わになっていることがあります。
―それはなんでしょう。
被災地で加速度的に進む人口減少であり、一方でその対策となる産業政策は各自治体が独自に実行しなければならないという厳しい現実です。人口減少下の厳しい局面で、地域の産業をいかに復興させ、地方創生につなげていくか。難しいかじ取りが、被災地の自治体には課せられているのです。
そうしたなか本市では、主力産業の水産業におけるデジタル技術の導入や、周辺産業の活性化によるクラスター形成など、産業政策で一定の成果を上げています。また、IT系で起業する人の誘致など、新産業の育成による産業の多角化にも力を入れています。こうした産業政策を通じて関係人口を創出し、UIJターン者を呼び込むというのが、本市の地方創生のかたちです。
地方創生で求められる、中規模都市での成功モデル
―地方創生をめぐっては、気仙沼市は「人から始まる地方創生」を標榜していますね。
このスローガンを策定した背景には、地方創生をめぐる私なりの問題意識がありました。それは、国が地方創生の大きな旗を立てて以来、取り上げられる成功例のほとんどが「人口5,000人以下のまち」であるという事実です。日本の人口を全国の自治体の数で割れば、1自治体あたりの平均人口は約7万人強になります。私はこの5~10万人規模の中規模都市で成功してこそ、地方創生は成功したと言えると思うのです。気仙沼市の人口は約6万人。まさに地方創生のロールモデルを示せる格好の存在だと思っています。そして、その成功のカギは「人づくり」にこそあると考えているのです。
―詳しく聞かせてください。
人口数千人のまちで成功事例が生まれる理由は、1人や2人の構想力のあるリーダーの出現で、まちづくりが劇的に変わりうるからです。ときには、外部から有志が入り込み、まちづくりをけん引していくようなケースもあります。しかし、人口規模が数万人になると1人、2人のリーダーの影響力は限定的です。中規模都市で地方創生を成功させるうえでは、このリーダー人材の数こそがもっとも大きな壁なのです。そこで本市では、人材育成を地方創生戦略の基軸に置くべきだと考えたのです。
特に、地方創生を導くうえで必要となる人材は大きく2通りあります。1つは、地域産業の活性化を担う「経営人材」であり、もう1つは、まちづくりに情熱を燃やす「まちづくり人材」です。これらの人材を育てるべく、行政だけではなく市民、営利・非営利団体を巻き込みながら、さまざまなプログラムを走らせています。
「まち」をまるごと、学びと実践の場に
―具体的にどのような人材育成の取り組みを進めているのですか。
経営人材の育成に関しては、経済同友会などによる復興支援の枠組みである「東北未来創造イニシアティブ」が運営した「経営未来塾」という取り組みを発展的に継承しています。この経営未来塾では、5年間の活動を通じ85人の卒塾生を輩出しています。本市としては、これらの卒塾生を引き続き支援し、事業再構築を支えています。その一方で、大手監査法人の協力を得て、「気仙沼経営人材育成塾」という新たなプログラムも立ち上げており、次なる経営人材の輩出に力を入れています。
―まちづくり人材の育成では、どのような取り組みがありますか。
本市は、「人から始まる地方創生」を標榜し、人材育成を地方創生の基軸に置くなかで、ここ数年、「まち」をまるごと学びと実践の場とすることを理念とした「まち大学構想」を推進しています。そこでは、それぞれの立場でまちづくりに参画する人材を育てるための、対象別プログラムが複数進行しています。たとえば、10~30代の若者を対象にまちづくりの担い手を育成する「ぬま大学」、40代以上の方々がそれぞれの強みを持ち寄り、地域課題の解決に取り組む「アクティブコミュニティ塾」、地域で活躍する女性を育成する「アクティブ・ウーマンズ・カレッジ」などが代表的な取り組みです。
―それらの取り組みから、実感する成果はありますか。
本市では、まちづくりに参加する市民が集い、協働する場として、「まち・ひと・しごと交流プラザ」を設置しています。この施設がどれだけ活用されるかは、本市のまちづくり施策の成否を占う試金石と考えており、設置当初の心配のひとつでした。しかし、開設後はさまざまな催し物が開かれるなど、毎日多くの人々によって活用され、本市のまちづくりの象徴的な施設として機能しています。その賑わいぶりを見るたびに、本市のまちづくりが成功に近づいているとの手ごたえを感じています。
震災によって得られた、支援や出会い
―今後の市政ビジョンを聞かせてください。
本市では、令和8年度までの総合計画のなかで、「世界とつながる豊かなローカル」というビジョンを掲げています。「ミニ東京」「ミニ仙台」を目指すのではなく、豊かな自然を維持し、享受しながら、産業は国際的に発展していく。これが、我々が一貫して目指してきた将来像です。これを実現するための武器として、気仙沼市には強い産業があり、被災地としていただいた多くの支援や出会いがあり、それらによって支えられた人材育成の成果があります。
本市は震災で多くのものを失いましたが、逆に震災によって得たものもじつは少なくありません。その最たるものが、産業振興やまちづくりにおける「叡智」とも言われる人々との出会いやそこからの支援にほかなりません。このかけがえのない財産に支えられた人材育成を基礎に、地方創生の新たなロールモデルを示していくことが、それらの支援に対するなによりの恩返しになると考えています。
菅原 茂 (すがわら しげる) プロフィール
昭和55年、東京水産大学(現:東京海洋大学)水産学部を卒業し、株式会社トーメン(現:豊田通商株式会社)に入社。ロッテルダム駐在などを経験し、平成4年から平成18年まで株式会社菅長水産に勤務。平成19年からは、自由民主党宮城県第6選挙区支部に勤務。衆議院議員公設第一秘書などを務め、平成22年4月に気仙沼市長に就任。現在4期目を務める。