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千葉ニュータウンとともに発展してきた印西市が貫く基本方針

「住民目線の政策」を徹底し、住みやすさを実感できるまちに

「住民目線の政策」を徹底し、住みやすさを実感できるまちに

千葉ニュータウンとともに発展してきた印西市が貫く基本方針

「住民目線の政策」を徹底し、住みやすさを実感できるまちに

印西市長 板倉 正直

※下記は自治体通信 Vol.49(2023年4月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。


子育て世代からの人気が高く、人口が増加の一途をたどる印西市(千葉県)。子育て支援策にも注力し、近年は、「住みやすいまちランキング」でつねに上位にランクインするまちづくりを進めている。その原動力は、人口の約6割を占める「千葉ニュータウン」事業の発展だ。長い時間をかけて同事業が軌道に乗るまでに、印西市では、地元自治体として独自に発展の道筋を描き、実行してきたという。この動きをトップとしてけん引してきた同市長の板倉氏に、その詳細を聞いた。

昭和55年に3万人だった人口。令和5年には11万人に増加

―印西市は「子育て支援策」の充実が広く知られていますね。

 ええ。当市は千葉県内の自治体のなかで年少人口の割合*1がもっとも高く、子育て世代が増加しています。安心して子育てができる環境の整備は市の責務と捉え、子育て支援策の計画的推進に向け、「印西市子ども・子育て支援事業計画」を定め、実行しています。保育園の整備といったハード面の支援だけでなく、子育て世代がさまざまな悩みを相談できる体制の構築など、ソフト面の支援にも注力しています。また、高校生までの医療費補助を近隣市のなかでいち早くスタートさせました。

―子育て世代が増えている要因をどのように分析していますか。

 千葉ニュータウン(以下、千葉NT)の開発で住宅が整備され、買い物などの日常生活が便利なうえに、自然豊かで環境が良く、安心して子育てができる条件が揃っているからでしょう。子育て世代の増加は市全体の人口増につながっており、千葉NTへの入居が始まった昭和55年頃、当市の人口は約3万人でしたが、平成30年には10万人を突破しました。さらに今年1月には11万人に達しています。

―千葉NTの発展が、市の発展をけん引していると。

 そう考えています。当市の住民の約6割は千葉NTに住み、大型商業施設も数多く建設されています。また、千葉NTは、活断層がなく地盤が強固で、水害リスクが低い台地上にあるため、東日本大震災以降は大企業が本社機能を千葉NT内に移転する動きが加速しました。近年は、物流施設やIT企業のデータセンター(以下、DC)の進出も加速し、Google社など国内外のIT企業のDCが集積しています。現在では、印西市は「DC銀座」と言われるほどです。

 千葉NTはまさに、「業務核都市*2」と呼ぶに相応しい発展を遂げていますが、実は初めから順調に事業が進展していたわけではありませんでした。

「開発に失敗したまち」

―具体的にどのような状況だったのでしょうか。

 昭和55年頃に入居が始まったものの、計画通りに住宅は売れず、商業施設の誘致も進まない状況でした。数年たっても改善されず、その後のバブル経済の崩壊によって状況はさらに悪化し、「開発に失敗したまち」の烙印を押されるようになっていました。

 こうした状況を受け、当市も独自の施策を練りました。千葉NTが「開発に失敗したまち」と言われていた頃、印西市の前身である印西町の議員だった私のもとには、千葉NTの住民から、「期待を裏切られた」といった声が多数寄せられました。事業が不調な要因は、ほかならぬ「販売価格の高さ」にありました。しかし、開発主体は「採算上、価格が下げられない」と。それならば、「貸す」という方法もあるはず。当時の千葉県知事である堂本暁子氏に、「特に広大な商業用地こそ定期借地権を使って流通を促すべき」と直訴したこともありました。

―その提言が開発の流れを変える端緒になったと。

 直接私の意見が採られたのかはわかりませんが、その後は商業用地の販売に定期借地権が活用され、それを機にまさに飛ぶように売れていきました。住宅用地も、「県がうまく販売できないのなら、民間企業と連携すべきだ」と訴え続け、いまでは多くの民間企業が県から住宅用地を買い取り、購入しやすい価格で販売するといった事業連携が随所に見られています。

「住民目線の政策」が、DCの集積につながった

―それらの提言の背景には、どのような想いがあったのでしょう。

 「住民の声を政策に反映する」という政治家としての初心がありました。私は市長就任以前、印西町と印西市の議員を合計10期務め、その間つねに「住民目線の政策」を心がけてきたつもりです。実は、当市にDCが集積するようになったのは、この「住民目線の政策」がきっかけなのです。

 私が平成24年の市長選に出馬した大きな理由は、千葉NTの住民からの「ごみ焼却施設の建設を中止してほしい」という、切なる願いに突き動かされたからです。当時市では、千葉NTの一画を買い取り、ごみ焼却施設の建設計画を立てていました。確かにごみ焼却施設は重要な社会インフラですが、千葉NTの中心に建設する意味はない。そう考えた私は、住民不在の政策に憤慨し、計画中止を掲げ、政治生命を賭す覚悟で市長選にのぞみました。結果、私が信任され、市長就任後にある外資系IT企業の幹部から突然の訪問を受けました。その訪問が、その後の市の発展を大きく左右することになるとは、想像もしていませんでした。

―どういうことですか。

 ごみ焼却施設の建設が白紙撤回されたことを聞いたらしく、「それならば、災害リスクの低い千葉NTの一角にDCを建てたい」という申し出だったのです。正直、DCのことは詳しく知りませんでしたが、その話を聞き、誘致が成功すれば地域の大きな発展に必ずつながると直感的に確信しました。しかし、DC稼働のために唯一足りないものは「電力」ということで、そこは私が交渉の前面に立って電力会社に直談判し、計画の将来性を訴え、電力供給増強のための変電所を建設してもらいました。

 この誘致がまさに「DC銀座」の端緒であり、正式な数は把握していませんが、多くの企業が集積する国内有数のDC拠点に発展しました。国が令和3年に公表した「半導体・デジタル産業戦略」では、印西市はDC集積のモデルケースとして紹介され、「INZAI」の名は世界に知られるようになりました。

10年で税収入が約60億円増加

―市のさらなる発展に向けて、今後どのようなビジョンを描いていますか。

 私の市長就任後10年間で、人口増加やDCの集積により、市税収入は約60億円増加しました。この貴重な税収を活かし、将来の安定的な税収確保のための企業誘致や市有地開発、行政サービスを充実させる施設整備などを進め、「教育」「子育て」「福祉」など各分野で「住民目線の政策」の強化・充実を図っていきます。現在の子育て政策の充実もその一環です。その先に、すべての世代の住民が「住んでいてよかった」と実感できるまちづくりを実現していきます。

板倉 正直 (いたくら まさなお) プロフィール
昭和21年、千葉県印旛郡印西町(現:印西市)生まれ。昭和40年、成田高等学校卒業。昭和50年、印西町議会議員に初当選。以後、印西町・印西市議会議員を10期連続で務め、議長などの要職を歴任。平成24年、印西市長に初当選。現在、3期目。

*1:※年少人口の割合:印西市調べ。令和4年4月1日現在

*2:※業務核都市:東京都区部以外の地域において、その周辺の相当程度広範囲の地域における中核都市のこと。 国土交通省が所管

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