M 私が以前携わっていたEC(電子商取引)の世界では、例えば家電・衣類・食品などといった物販系分野のEC化率(全商取引のうちEC市場で取引される割合を示す指標)は約8%*と、あれだけ各社が頑張っていてもこの水準です。 *経済産業省「令和2年度産業経済研究委託事業(電子商取引に関する市場調査)」 民間のEC企業各社が切磋琢磨して非常に利便性が高いサービスを提供しデジタル完結していても、このような状況なわけですから、行政手続きのデジタル化についても利用率100%など、現実離れした高望みな目標を掲げる必要はないと思います。 それよりも重要な視点は、バーチャルかリアルかの「or」ではなく、バーチャルもリアルもという「and」なのではないでしょうか。 「and」の視点で、バーチャルもリアルもどちらもデジタル技術で便利で良い体験だと都民の皆さんに感じていただけるようにする必要があります。モノを買う時も、利用者はオンラインと対面のチャネルを選択できます。1つのチャネルにできたら仕事は楽ですが、行政も横着せず、オンラインも対面も両方頑張らないといけません。
行政体験を“エレガント”に!
T バーチャルもリアルも別け隔てなく、サービス品質の向上が必要だということですよね。リアルのサービス品質向上にもデジタルを十分に活用できます。
M そうです。サービスの提供チャネルはバーチャルとリアルがあるわけですけれど、その基盤にあるのがデジタル。窓口業務などのリアルな行政サービスもデジタルが支えるわけです。 つまり、全てのバックオフィス業務が徹底的にデジタル化された上で、最後のラスト1マイル、ラスト30cm、都民の皆さんとの接点はバーチャルもリアルもあって都民の皆さんが自由に選択できるという状態になります。 行政のデジタル化とスマホ化は実は全く別の話です。スマホ100%ではなく、デジタル100%。対面チャネルも裏側は高度にデジタル化されていて非常に効率よくなっている。これが私の持っているイメージです。 そういう意味で重要になってくるのが、EC率ならぬEG率(イーガバメント率:電子政府実現率)のようなものだと思っています。バーチャルとリアルの双方のチャネルをデジタル化することによって、それぞれの量や品質を計測できるようになる。徐々にバーチャルの割合、つまりEG率が上がっていくように利便性の向上を図っていくのと同時に、リアルの方もデジタル技術を活用してエレガントな体験が実感できるようにしていくことで、どのチャネルでも行政サービスの品質体験の向上を実現すること、この状態を目指していく必要があります。 例えば、コロナ禍でも事前に予約をすることで、並ばずにすっと入れ、決済もレジに行かずに店員さんが持っている端末で簡単に実行できる、そういったすごく美しいユーザー体験を実現している民間の実店舗もありますよね。まさにデジタル化によってリアルの体験を向上している事例です。こういうのは参考にすべきモデルケースだと思っています。 都民の皆さんとの接点は、長い目で見るとバーチャルがメインになっていきますが、裏側は完全にデジタル化されているリアルチャネルの体験も向上する、そういう二刀流の姿を都庁でも目指していきたいと思っています。
T バーチャルでもリアルでもシームレスにエレガントな体験が実感できるようにする、まさに理想ですよね。
「バーチャル公務員」
M 次に起きるべきことは、プッシュ型に近い考え方なのかもしれないですけれど、「バーチャル公務員」がエージェントとして都民の皆さん一人ひとりのスマホの中に常駐しているような状態の実現で、一人ひとりにピッタリな行政サービスを提供できるようにならないといけないと思うのですよね。 「バーチャル都庁」は、まずは「バーチャル都庁」に都民の皆さんがわざわざ訪問する形からスタートするしかないのですが、最初はそれで良いのですけれど、だんだんとデータが貯まっていけば、都民の皆さん1,400万人のスマホの中にあなた専任の「バーチャル公務員」がいて、一人ひとりにピッタリな行政サービスの推薦ができるようになる。夢のような話でもあるのですが、そこまで目指していきたいと思っています。
T 民間のデジタルサービスも、ビッグデータの予測分析に基づいた高度なパーソナライズ化を推進して、サービス品質の向上を競っていますよね。
M 最初は画一的な都庁のホームページにアクセスしていただくしかないのですが、民間のデジタルサービスと同じようにパーソナライズされた行政サービスへと進化していく。これが「バーチャル都庁」から「バーチャル公務員」の理想状態です。まだ何年先に実現できるかわからないですけど。
「現状はWeb0.7だ」ぐらいの認識を持って
T デジタル完結を実現した上で多様な選択肢を提供する、バーチャルでもリアルでもシームレスにエレガントな体験が実感できるようにする、そして、パーソナライズされた行政サービスへと進化していく―。そんな理想状態を目指した上での人材戦略として「東京デジタルアカデミー」があるわけですね。
M そうですね。その理想状態を実現するにはデジタル人材を強化しなければならない、ということで「東京デジタルアカデミー」の発想へとつながっていくわけです。
T 「バーチャル都庁」や「バーチャル公務員」、そしてリアルな行政サービスをも支える様々な業務のデジタル化、これらを実現していくにあたって、どんなマインドやスキルが必要なのでしょうか? だんだんと理想状態の実現に近づいていくにつれて、「東京デジタルアカデミー」のプログラムやカリキュラムをアップデートしていくようなイメージでしょうか。
M ゴール・理想状態は壮大なのですが、しっかりと現状を把握して1歩1歩進めていくしかありません。 例えば、Web3が話題ですが、東京都庁の現状は利便性の高いWeb1.0を実現するところから始める必要があると考えています。「東京デジタルアカデミー」では、理想状態に向けた1歩目として、まずは基礎的なことからスタートしないといけません。例えばオープンデータで提供するなら、コンピュータが取り込みやすいデータで提供するなど、そういったことから1つ1つしっかり出来るようになるということです。 あえて表現するなら「現状はWeb0.7だ」ぐらいの認識を持って、0.7から1.0、そして2.0、Web3へとステップを踏んだほうが適切な習得や成長につながると思うので、あまり難しいことをやる必要はないのかなと。
一緒に学ぶ“仲間”が重要
T しっかりと現状を把握すること、そしてその現状に合わせて基礎からやっていくこと、ここがズレると人材の土台が形成されなくなってしまうので、本当に重要ですよね。 たしかに多くの自治体でもWeb0.7ぐらいの状態なのかもしれません。まずは、都庁職員の皆さんが「東京デジタルアカデミー」の対象となるのでしょうか?
M はい。最初は都庁職員であれば誰でも受講できるようにします。いずれは都内区市町村の職員の皆さんも受講できるようにしたいと考えています。 研修は、「何を学ぶか」も大切ですが、「誰と学ぶか」が凄く大切だという話を聞いたことがあって印象に残っています。小規模な自治体だとデジタルの担当者も1人だったりして、1人で取り組むというのは、なかなかモチベーションも続けるのが難しいし、みんなで取り組んだ方が絶対いいと思うんです。 学ぶ内容や先生も重要ですが、一緒に学ぶ仲間が重要なので、まずは都庁職員が対象ですが、都内区市町村の職員の皆さんにも拡げていって、最終的には日本中の公務員が学べるようになるようになったら素晴らしいなと考えています。全国の自治体でデジタル人材育成に関連した課題は、ほとんど共通の課題ばかりですしね。 まずは、育成プログラムやカリキュラムをオープンソースのように、みんなで共有して、お互いに改善できるようにするなどといったことは、すぐにできますよね。そういうことからでも、区市町村にとってはコストを抑えることにもつながりますから、デジタル人材育成に取り組みやすくなるはずです。
「渇き」が感じられる仕組みを
T 考えてみれば、公務員向けのデジタルアカデミーや、公務員を目指す人向けのデジタルアカデミーは、日本中どこにもない気がします。実現したら日本の「デジタル社会」の実現に大きなインパクトがありそうですね。 少し話が戻りますが、バーチャルでもリアルでもシームレスにエレガントな体験が実感できるようにするという話がありました。サービス体験・サービス品質を上げていく、バーチャル・リアルを問わず、これまでの行政サービスのあり方そのものをアップデートしていく、そういった「変革マインド」も「東京デジタルアカデミー」で醸成していこうとお考えですか?
M 「東京デジタルアカデミー」は、最初はデジタルに特化した形で少しずつ進める形になると思います。 「変革マインド」に関連するのかもしれませんが、前職で研修制度を一緒にやっていた仲間から「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」(You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.)というイギリスのことわざを教えてもらったことがありまして、例えば、いくらデジタルという水辺に連れていっても水を飲まないわけです。なぜなら喉が渇いていないから。 つまり、アナログでも業務がまわっていると「喉の渇き」を感じないわけですから、いくらデジタル化を提案しても、デジタル化に取り組もう、変革に取り組もう、というマインドにはなるわけがないのですよね。 ですから、自ら水を飲みたいと思ってもらうには、まずは「喉の渇き」を感じることが必要です。コロナ禍ではデジタル化の遅れが様々な業務に影響して可視化され、「まだファックスやってるのか」とご批判の声をいただいたり、「やっぱりテレワークしなきゃね」といった庁内外からの声もあがったりして、「喉の渇き」を強制的に感じることになったので、変革を前提としたデジタル化が随分と進みました。
T 「喉の渇き」の必要性、強烈に共感します。どうしたらコロナ禍のような有事だけでなく平時でも「喉の渇き」を感じられるようになるのでしょうか?
M 「喉の渇き」が平時でも自然と感じられるようにするには、仕組み化を設計する必要があります。 「喉の渇き」を感じる仕組みのひとつは、都民の皆さんなどからのフィードバックです。例えば、都のデジタルサービスのユーザーテストで都庁までお越しいただいた都民の皆さんにプロトタイプ(試作品)を操作していただき、実際に画面で迷っている姿を見たり、厳しいご意見もいただくわけですが、そういった生のフィードバックによって「このままではいけない」と都職員が「喉の渇き」を感じて改善を重ね、結果として行政サービスの品質向上に繋がる、都民の皆さんの体験向上に繋がる、そういう仕組みを目指しています。また、我々は「喉の渇き」が無くても、利用する都民はデジタルチャネルでサービスを受けたいという「強烈な喉の渇き」を感じている可能性もあるので、利用者の渇きをフィードバックで知る仕組みが大切です。
T 職員の皆さんが、住民とのふれあいの中で「喉の渇き」を間近で受け止めることは、もの凄く大切ですよね。
M はい。伝聞ではなく、自分の目で一次情報として、利用者の「渇き」を見るというのは、本当に大事だと思います。