【自治体通信Online 寄稿記事】
我らはまちのエバンジェリスト #12(福岡市 職員・今村 寛)
財政事情がますます厳しくなるなか、今こそ行政と市民の間に“対話”が求められています。しかし、なぜ対話が成立せず、市民の不満は絶えないのか―。今回は自治体運営の根幹にある機能不全の原因を考えます。
自治体は職員の「対話力」に熱心ではない
これまでこの場で私は何度も「対話」ができる自治体職員や地方自治体の組織の意義について語ってきました。
(参照:我らはまちのエバンジェリスト~連載バックナンバー)
しかし、これだけ自治体職員に「対話力」が求められているはずなのに、自治体の現場では必ずしもそのことを意識した人材登用や育成、組織風土改革に熱心ではないように見えます。
課題を発見し解決する能力やそのために必要な企画力、交渉力、調整力、組織としてその力を発揮するためのマネジメント力やリーダーシップといった能力の開発や人材獲得には力を入れている自治体もありますが、どうも全体として「仕事がうまくいく」「成果が出る」ための人材戦略のように思えてなりません。
なぜ「対話」についてもっとフォーカスしないのでしょうか。
市民が期待するのは「対話」ではない
きっと、市民が私たち自治体職員や自治体組織に何を期待しているか、そのことを我々がどう認識しているかに起因するのだと私は考えています。
市民が自治体に期待することは何か。それは
もっと福祉や教育を充実してほしい…
道路や公園を整備してほしい…
中小企業を支援してほしい…
環境や自然を守ってほしい…
などといった、自分たちの生活の質を向上させるための具体的な取り組みであって、市民はその成果、すなわちその要望が満たされた状態を求めます。
この市民ニーズの充足のために、首長や議会は私たち自治体職員に施策の実現力を求め、そのために必要な人材を採用し、育成し、評価し、またそのようなことができる最適な組織を創ろうとしています。
しかし、厳しい財政状況が続き、投資できる余力が限られていること、また市民のニーズが多岐にわたり、多くの市民を満足させる最大公約数の施策を選択することが難しいことから、常に市民の期待に完全なかたちで応えることはできず、市民の要望は積み残されています。
「市民のニーズに即した成果を出し続ける」という終わりなき旅は、実は永遠に終わらないどころか、今後の財政状況が厳しさを増すことを考えればますますゴールが遠のいていくものなのです。
自治体と市民の「対話」がもたらすもの
市民が「要望を実現してほしい」「成果を出してほしい」といくら望んでも、財源に限りがあるので、そのすべてをかなえることはできず、結果、市民に欲求不満が溜まります。
しかし、その要望が
・どう処理されたのか
・なぜかなわないのか
・財源の制約、他の事業が優先された理由
などが明らかになり、その意思形成のプロセスを知ることができる「対話的な関係性」が自治体組織の中や自治体と市民との間に構築されていたとしたらどうでしょうか。
まず、自治体職員が市民一人ひとりの多様な立場、意見を尊重し、その姿勢を貫いた意見聴取及び調整を行うことが必要です。
自治体職員が、市民一人ひとりの異なる立場、意見があることを認識し、かつ互いに優劣がないものとして取り扱うことは、市民の立場から見れば市民自身がありのままであることを許容され、その違いを尊重されることでもあります。
そうやって互いに対等で優劣がないものとして扱われた市民は、自治体職員との「対話的な関係性」のおかげで、自治体運営の機微について当事者として理解できるだけでなく、自分の要望よりも優先された、ほかの市民の要望の背景や経緯などを理解できます。
市民が他の市民の立場や意見を知り、それを互いの意見、立場を尊重したいと思える環境があれば、たとえ自分の要望が100%かなわなくても、それぞれの立場や意見が尊重され、許容される自治体運営に対して満足できるのではないか。また、厳しい財政状況がもたらす危機を回避しながら市民が共有した将来像に向かい、持続可能な自治体運営が行われていくのではないでしょうか。
「対話」ができる自治体職員を育てる
そんな自治体職員を育てていくために、市民がすべきことは何でしょうか。
それは、そのような自治体であってほしいと常に願い、それを言葉にし、行動で表すことです。
そのためにまず、市民自身が「対話」できるようになっていただきたい。
他人の立場や自分と違う意見を許容し、尊重し、対話の中で共通点を探る、他人を「許し」、自分を「開く」ことができる、互いの人格に優劣がないものと認めあい、その意見、主張にも優劣がないという前提で先入観を持たずに拝聴しあう、人が人を尊重する社会にふさわしい市民となっていただきたい。
そのうえで、自治体職員が市民や職員相互での「対話的な関係性」を構築しているかを常に観察し、そうでない振る舞いについてはお叱りの言葉を、うまくできているときにはお褒めの言葉をいただきたいのです。
さらに言えば、そのような自治体を創ろうという意欲を持った人を首長として役場の中に送り込み、職員の「対話力」を向上させ、「対話」を実践する組織を創らせ、また、市民の代理として市民の代わりに対話し、議論し、意思決定する議会にも、ぜひそのような資質と能力を持った、「対話力」に長けた人材を送り込み、議会での代議を通して「対話的な関係性」を実感してほしいと思います。
本当に「対話力」が必要なのは誰か
市民は、自分たちの求める施策の実現を求めて首長や議員を選び、施策の実現を職員に強く働きかけます。
職員は各職場で市民からのこうした強い思いを直接、あるいは首長や議会からのプレッシャーとして受け止め、それを実現しようと予算編成等の意思決定過程で喧々諤々の議論を繰り広げます。
しかし、施策の実現を重視すれば、その力と力がぶつかり合い、時には対立を招きますし、結果として施策を実現できないことも当然あります。
一方で、個々の施策の実現ではなく、その過程での満足、納得を求め、「対話力」のある自治体運営を目指すこと、そのために職員をほめたり叱ったりすること、また首長や議員を選ぶことには、新たなお金は要りません。
次から次へと施策要望の実現を求めることで新たなお金が必要になれば、そのために市民の負担が増えたり、他のサービスが減らされたりすることが必然であることを考えれば、市民が自らの「対話力」を向上させて他と調和できるようになり、職員の「対話力」の向上に向けて自治体にはっぱをかけ、首長や議員に「対話」を基礎とした自治体運営を求めていくほうが、実はよほど効果的ではないかと思うのですが、皆さんはどう思われますか?
これまでも述べてきたように、行政と市民の「対話」、職員同士の「対話」は、実はすべて異なる立場や意見を持つ市民同士の「対話」の代弁です。
「対話力」のある自治体運営を求め、「対話」によって私たち自治体職員の仕事の進め方を変えようというのは、実は市民自身が自分のことばかり考えていないで他の市民の存在やその違いを認め、尊重し合いましょう、ということと同義なんですけどね…。
自治体と市民をつなぐ対話の架け橋“まちのエバンジェリスト”を求めるのも育てるのも、実は市民自身だという話です。身もふたもない話ですが(笑)
(「《“自治体消滅“の危機を打開する「対話」》互いの声を聴きあえる社会へ」に続く)
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■ 今村 寛(いまむら ひろし)さんのプロフィール
福岡地区水道企業団 総務部長
1991年福岡市役所入庁。2012年より福岡市職員有志による『「明日晴れるかな」福岡市のこれからを考えるオフサイトミーティング』を主宰し、約9年間で200回以上開催。職場や立場を離れた自由な対話の場づくりを進めている。
また、2012年から4年間務めた財政調整課長の経験を元に、地方自治体の財政運営について自治体職員や市民向けに語る「出張財政出前講座」を出講。「ビルド&スクラップ型財政の伝道師」として全国を飛び回る。
好きなものは妻とハワイと美味しいもの。2022年より現職。
著書に『自治体の“台所”事情~“財政が厳しい”ってどういうこと?』(ぎょうせい)、『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』(公職研)がある。財政担当者としての経験をもとに役所や公務員について情報発信するnote「自治体財政よもやま話」を更新中。