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震災を経験したからこそ できること、やるべきことが あるんです

震災を経験したからこそ できること、やるべきことが あるんです

宮城県 の取り組み

民間の力を活用し、宮城オリジナルの「創造的な復興」に挑戦

震災を経験したからこそ できること、やるべきことが あるんです

宮城県知事 村井 嘉浩

東北地方の太平洋沿岸部を中心に未曽有の被害をもたらした東日本大震災。発生から6年が経過したいまも、各地では復興に向けたさまざまな取り組みが進められている。今回は「創造的な復興」を合言葉に、革新的な復興政策に次々と挑み続ける宮城県知事の村井氏にインタビュー。震災復興の詳細や人口減少・少子高齢化に対する基本姿勢、独自の行政理念などを聞いた。

※下記は自治体通信 Vol.8(2017年4月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。

「10年遅れ」の復興では 取り組む意味がない

―震災から6年。宮城県ではどのような復興政策を進めてきたのでしょうか。

 まず前提として、先の東日本大震災では、宮城県内でも1万人を超える方が亡くなり、いまもおよそ1200人の方が行方不明になっています。とくに沿岸部は被災したというよりも、完全に“破壊”されたような状態。宮城県の全農地の約1割が、津波の被害を受けたとされています。

 当然、震災直後は被災者の住居確保やインフラ復旧が最優先でした。ですが私自身、「それだけではダメだ」という想いをつねに抱いていました。たとえ10年かけて元の姿に戻したとしても、ほかと比較した場合、「10年遅れ」の地域になってしまう。だからこそ「創造的な復興」を合言葉として掲げ、震災がなければやれなかったこと、あるいは震災があったからこそやれたことに果敢にチャレンジしてきました。

―具体的にチャレンジしてきたことを教えてください。

 一例としては、「水産業復興特区」の導入があげられます。沿岸部における産業の中心はやはり水産業ですが、担い手の高齢化や後継者不足の課題を抱えていました。さらに、津波によって漁船だけではなく、養殖施設や加工場、倉庫などすべてが流されてしまい、多くの漁師さんが亡くなられています。

 そこで「水産業復興特区」として、地元漁師が主体として立ち上げた法人に区画漁業権を付与できることにしたんです。これまでは各地の漁協が漁業権を管理し、漁師同士の争いがないようにコントロールしてきたわけですが、漁師の高齢化が全国的に進んでいるうえに、震災で漁師さんの数も一気に減少。このような現状を考慮すると、やはり「民間の力を活用しやすくするべきだろう」と。

 現在、桃浦という浜で実際に漁師さんと地元の水産商社が組んでカキの養殖をスタートさせています。

―ほかに取り組んでいる「創造的な復興」の事例はありますか。

 数えるとキリがないですが、大がかりな取り組みとしては医学部の新設ですね。東北地方では、震災前から医師不足は顕在化していました。とくに沿岸部では、震災後に医師がなかなか戻っていません。そこで宮城県から政府に東北地方への医学部の新設を働きかけたところ、東北薬科大学に医学部が新設されました。

 これはじつに37年ぶりのことで、この平成28年4月から東北医科薬科大学としてスタートしています。

 「水産業復興特区」も同じですが、「震災復興」というこの機会でなければ、国も認めてくれなかったと思います。でもそこに果敢に挑戦していくことこそ、宮城県の被災者を代表する知事の役割だと考えています。

企業誘致を積極的に進め 産業構造の転換を図る

―復興とも関連すると思いますが、人口減少・少子高齢化に向けた対応策を教えてください。

 基本的には「子どもを産みやすく、育てやすくする」「大人になって出て行かないようにする」「他地域から呼び込む」の3つしか方法はないと思います。そのためにとくに宮城県が取り組んでいるのは、「高い給料で安定して働ける場所を提供する」ということです。

 これまで宮城県は、仙台市を中心に典型的な「支店経済」で栄えてきました。黙っていても出張などで人は集まってくる。だからそういう人たちを対象にした、飲食業など第3次産業が伝統的に強かったわけです。ところが情報化が進み、いまや会議はテレビ会議で十分できますし、新幹線で青森県まで日帰りで行ける時代。わざわざ宮城県に支店を置く必要がないんです。これまで通り第3次産業ばかりに注力していたら、間違いなく衰退していきます。

 では、東北の強みを活かした産業はなんなのか。やはり私はモノづくりしかないと考えました。土地も安く、水が豊富。電気料金も高くないですし、人件費も安い。立地的にも東京から1時間30分ほどですから、条件的には極めてモノづくりに適した地域だと思っています。

 そこで就任以来、第3次産業から第2次産業への産業構造の転換を進めてきました。実際に多くの企業を訪問して企業誘致を働きかけましたし、財源確保のために法人事業税の増税も行いました。誘致に努めた結果、製造業では、平成18年以降350社を超える企業が宮城県に立地しています。

経営にクチをはさまず 制度改正と規制緩和で支援

―「人を呼ぶ」という点では、仙台空港の民営化も大きな話題となりました。

 ええ。平成28年7月、国管理の空港として、日本で初めて民営化を果たしました。すでに国際便の本数が2倍になるなど、目に見える成果が出始めています。国が管理する空港の場合、特定の航空会社だけをディスカウントするなどの個別対応ができません。ですからLCC誘致をする場合は、自治体が補助金を出すしかなかったんですね。ただそれだと、補助金が切れたり、ショートした段階で終わってしまう。なので、民間が空港を自由に運営できるようにすることで、個別に「民民」の価格交渉ができるようにしたんです。

 国内外の観光客が増えたことで、空港の周辺には観光バスが激増。そうなると鉄道の方も自然に競争原理が働きますので、全体のサービスレベル向上が望めます。

―さまざまな挑戦に取り組むうえで、重視していることはなんですか。

 繰り返しになりますが、民間の力を最大限に活用することです。これは就任してからの12年間、つねに意識し続けている点です。やはり自治体が補助金を出して施策を行うだけでは限界が来ていると感じます。よく「指定管理」と「コンセッション(民間事業者)」の違いがわからないと言われますが、前者は官が決めたことを民間がほぼその通りにやる。後者は最低限の決めごとをクリアすれば、あとは民間の自由裁量です。

 たとえば仙台空港民営化の話で言うと、さらなる利便性向上のために運用時間の拡大を図っていきます。もちろんそのためには騒音の問題があるので、地域住民の理解が必要です。拡大した運用時間でどのような事業をするかは空港会社におまかせし、私たちは住民との折衝や制度改正・規制緩和でバックアップしていきます。経営にはクチをはさまず、スムーズにもうかる仕組みをサポート。これが私の「民営化」の基本的な考え方です。

いちばん大切なのは 先の目標を見失わないこと

―新しいことを推し進めるには、反対意見もあると思います。

 もちろんたくさんありますね。なにか新しいことをしようとすると、賛成が50いれば、やはり反対も50はいるものです。知事就任直後に「産業構造を転換する」と周囲に言ったときも、「できない理由」だけがどんどん出てきたんですよ。「高速のICがないからダメ」「補助金制度がないからダメ」「そもそも企業誘致に何十年も成功していない」とか、本当にたくさん(笑)。それでも私が自分の責任で決断し、小さな成功体験を重ねることで、職員の姿勢も変わってきました。いまや県庁全体が私の性格のように、「ダラダラ議論するぐらいなら前に進もう」という雰囲気になっています(笑)。

 大切なのは、先の目標を見失わないこと。私は以前、自衛隊でヘリコプターのパイロットをしていたのですが、A地点からB地点に向かうとき、あらかじめ目的地の先に山や鉄塔など目標を定めておくんです。すると風に流されたり、目的地を見誤ったりしても、すぐに軌道修正ができる。足元だけ見ていると、いつのまにか自分が思った場所と違うところに行ってしまう可能性が大きいのです。

 批判意見もありますが「創造的な復興」という先を見すえ、今後もさまざまな挑戦を続けていきます。

村井 嘉浩(むらい よしひろ)プロフィール

昭和35年、大阪府生まれ。防衛大学校を卒業後、昭和59年に陸上自衛隊に入隊。東北方面航空隊(仙台霞目駐屯地)でのヘリコプターパイロット勤務などを経たのち、平成4年に自衛隊を退職。松下政経塾に入塾し、平成7年より宮城県議会議員を3期務める。平成17年、宮城県知事選挙に初当選。在任中の平成23年に、知事として東日本大震災を経験し、さまざまな復興支援に取り組んでいる。現在は知事3期目。座右の銘は「天命に従って人事を尽くす」。

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