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一人の幸せが全体の幸せにつながる、それこそが「まちづくりの原点」

一人の幸せが全体の幸せにつながる、それこそが「まちづくりの原点」

岩手県釜石市

震災復興の原動力となった「One for all, All for one」の精神

一人の幸せが全体の幸せにつながる、それこそが「まちづくりの原点」

釜石市長 野田 武則

※下記は自治体通信 Vol.29(2021年4月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。


未曾有の災害となった東日本大震災から、この3月で10年の節目を迎えた。この間、もっとも大きな被害を受けた三陸地方では、復旧・復興事業が大きく進展。なかでも同地方の主要都市のひとつ、釜石市(岩手県)では、道路・宅地整備や復興公営住宅の建設にくわえ、令和元年に開催された「ラグビーワールドカップ2019™日本大会」を成功に導き、復興を印象づけたのは記憶に新しい。ここでは、これらの取り組みを市長として主導した野田氏に、この間の成果や今後の市政ビジョンなどについて聞いた。

「10年での復興」は達成へ

―東日本大震災から丸10年が経過。大きな節目を迎えました。

 当時の状況は、いまも鮮明に覚えています。平成23年3月11日午後2時46分はちょうど議会開会中だったのですが、突然の強い揺れで外に避難しました。その後、津波の襲来に備え、庁舎に戻ったのですが、目の前で建物が流されてゆくのをなすすべもなく、あまりのショックに現実感のないまま呆然と見つめるしかありませんでした。

 あれから10年が経ち、この間は住民とひざを突き合わせた議論を重ね、官民一体で「復興まちづくり基本計画」の実現に取り組んできました。住民の協力はもとより、全国の皆さんから多大な支援をいただいたおかげで、一定の成果が見えてくるところまできました。

―取り組みの成果を具体的に振り返ってください。

 まずは、被災者の生活再建の一環として、復興公営住宅の整備を最優先で進めてきました。平成30年12月に全1,316戸の復興公営住宅が完成したのをはじめ、市内全1,450区画の宅地整備も完了し、この3月までにほとんどの住民が仮設住宅から移れる見通しが立ちました。また、防潮堤や防波堤のかさ上げ工事も計画通りに進み、3月末で完成する運びです。施設整備においては、当初計画の「10年での復興」という約束は概ね達成できたと言えそうです。

 また、こうした施設整備以外の取り組みにも力を入れてきました。

―どのような取り組みですか。

 犠牲者の方への「鎮魂の場所」を建設することが、住民の悲願でした。当市では1,064人の犠牲者を出してしまいましたが、それらの方々を慰霊し、あわせて教訓を伝承する施設が必要だと考えてきたのです。平成31年3月に供用開始した「釜石祈りのパーク」や隣接する「いのちをつなぐ未来館」は、そうした住民の想いが結実した施設となっています。

釜石に根づいたラグビー精神

―復興事業の象徴的な位置づけとして、2年前には「ラグビーワールドカップ2019™日本大会」も開催されました。

 開催都市に決定したのが、震災からまだ4年しか経過していなかった平成27年3月。本当に開催できるのか、不安を抱えた挑戦でした。開催地で唯一スタジアムの新設が必要でもありましたし、収容人数1万6,000人程度のスタジアムで世界大会が開けるのかと。

―難しい挑戦を、なぜ成功させることができたのでしょう。

 住民を中心とした多くの人々の、開催にかける想いが原動力になりました。準備段階はもとより、開催期間中も、小さなまちゆえに予算や人員は限られるものの、一人ひとりが主役となって、できる範囲内の「おもてなし」をしようとの方針を打ち出してきました。

―「おもてなし」は世界中から高い評価を得ていますね。

 「おもてなし」の内容自体よりも、むしろこうした「住民の想い」が、評価されたのでしょう。大会期間中は、つねに満席だった市内のファンゾーンでは、試合が佳境を迎えると、自然と会場から「釜石コール」が巻き起こりました。日本の選手や、ましてや釜石の選手が出ているわけでもないのに、です。大会にかける住民の熱い想いをもっとも強く感じた場面であり、ラグビー文化を通じて釜石に根づいた「One for all, All for one」の精神も実感しました。

 これは復興の過程で、私がもっとも大切にした精神でもありました。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」との想いから、一人ひとりの幸せが、全体の幸せにつながる。それこそが「まちづくりの原点」であることを、一連の震災復興を通じて私は痛切に感じてきました。

「釜石市防災市民憲章」に、まとめた「市民総意の誓い」

―未曾有の災害から、釜石市はどのような教訓を得たのでしょう。

 今回の震災で突きつけられたのは、ある意味「行政の限界」でもありました。どれだけ対策を打ったとしても、行政だけではすべての住民の命を守ることはできない。その限界を見極めたうえで、一人ひとりの住民にいかに「自ら命を守る意識」をもってもらうか。そこに行政の重要な役割があると認識しています。

 当市の震災被害で象徴的だったのは、当時小中学校にいた児童生徒に犠牲者が一人も出なかったことです。この背景には、東日本大震災の数年前から全国に先駆けて実施していた「防災教育」の成果もあったと考えています。こうした貴重な経験から、当市では2年前に「釜石市防災市民憲章」を策定しています。

それはどのようなものですか。

 「備える」「逃げる」「戻らない」「語り継ぐ」の4つから成り、命を守るための重要な教訓を、災害前、災害時、災害後の行動としてまとめたものです。「備える」が伝えることは、日頃からの訓練経験が避難を可能とし、それを「からだ」で理解することが大切だということ。「逃げる」は、避難を繰り返すことの大切さと、自分の率先避難の行動が周りの避難を促すことにつながるということ。「戻らない」は、家族間で避難行動を確認しておくなど、信頼関係を築き行動することが必要であるということ。「語り継ぐ」は、これらの行動を実践し続けることで、それが「当たり前」となる災害文化が創られるということです。

 「釜石市防災市民憲章」は、 東日本大震災を機に、あらゆる災害から身を守る知恵を次の世代へと伝えていくための「市民総意の誓い」です。


幾度もの危機を乗り越えた「不撓不屈」の歴史

―これからのまちづくりについて、ビジョンを聞かせてください。

 一人ひとりの幸せを大事にしていく行政は、これからも追求していきます。震災から10年、コロナ禍の到来で再び社会は大きく変わりました。住民の声をいかに拾い、政策に反映していくか。大きな命題を前に、テクノロジーの活用をはじめ、住民との関係性を築いていくための方法論は変えていかなければならないでしょう。

 近代製鉄発祥の地である釜石には、一方でたび重なる津波や戦争によって何度も廃墟になった過去もあります。しかし、そのたびに「不撓不屈」の精神で復興を遂げてきた歴史があります。今回の震災、コロナ禍という困難も、「One for all, All for one」の精神を忘れなければ、きっと乗り越えていけます。


野田 武則 (のだ たけのり) プロフィール
昭和28年、岩手県釜石市生まれ。昭和51年、専修大学法学部法律学科卒業。昭和63年4月に学校法人野田学園甲東幼稚園園長就任。平成15年から岩手県議会議員を務め、平成19年11月18日、釜石市長に就任。現在4期目。岩手県東日本大震災津波復興委員会委員、岩手県釜石保健所運営協議会会長、岩手県防災会議委員のほか、岩手県沿岸市町村復興期成同盟会会長、岩手大学三陸復興・地域創生推進機構アドバイザリーボード委員などを兼任。合気道・居合道ともに二段。
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