※下記は自治体通信 Vol.58(2024年6月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。
令和4年2月、宮崎県の県庁所在地、宮崎市において、40歳の若手市長が就任した。医師から県議会議員へと転身し、「市政の刷新」を掲げ、2度目の市長選出馬で市民からの付託を得た清山知憲氏である。「これまでの市政は、県庁所在地という立場にあぐらをかいてきた」とまちの将来に危機感を募らせる同氏は、次々と市政の転換を打ち出している。これらの改革の先に、どのようなまちの未来を描いているのか。今後の市政ビジョンなどについて同氏に聞いた。
清山 知憲きよやま とものり
昭和56年、宮崎県宮崎市生まれ。平成18年に東京大学医学部を卒業。平成20年に沖縄県立中部病院にて初期研修を経験。その後、ベスイスラエルメディカルセンター内科研修医を経て、平成23年に宮崎県議会議員に就任。2期務めた後、平成31年に医療法人社団ひなた理事長に就任。令和4年2月に宮崎市長就任。
「自ら責任をとるリーダーでありたい」
―令和4年2月、どのような使命感をもって宮崎市長に就任したのでしょう。
市の課題に正面から向き合っていない市政に対し、若い世代の一人としてまちの将来に危機感を抱いたことが、出馬の背景にありました。当時、宮崎市選出の県議会議員の立場で見てきた市政の印象は、「県庁所在地という立場にあぐらをかいている」というものでした。県庁所在地であっても、若者は都市部にどんどん流出している事実があります。さらに、宮崎駅前の中心市街地は新たな活性化策が必要な状況にありましたが、若い世代が抱くまちの将来に対する危機感を、市政がまるで共有していないと感じていました。就任前の会見で、私は「自ら責任をとるリーダーでありたい」と宣言しました。「責任をとる」ということは、すなわち「決断する」ということと同義です。しかもそこには、適切なスピード感もなければいけません。逆に言えば、これまでの市政には、その重要な決断とスピード感が私からは見えなかったのです。
―就任からこの間、清山さんはどのような課題に向き合い、どういった決断を下してきたのですか。
たとえば、懸案となってきた老朽化に伴う市庁舎の建て替え問題があります。これは、1回目の出馬の際にも争点になっていた問題でしたが、4年経った段階でもまだ結論が出ていませんでした。有識者会議や検討会を重ねても、最終的な結論を出せない。そこで私は就任後、集中的な議論を経て、市街地活性化策の一環として浮上していた駅前への移転案を捨て、現在地での建て替え案で進めることを1年間で最終判断しました。公共投資による箱モノ建設で市街地を活性化するという旧来の発想には、限界を感じていたからです。それと同じ発想のもとで、「駅前市街地活性化の起爆剤」として進められていた「アリーナ建設構想」も中止を宣言しました。
その一方で、この中心市街地の活性化策において、私が重視しているのが「公民連携」の発想です。
トップだけではなく、役所自体も生まれ変わる
―詳しく聞かせてください。
税金による公共投資でまちを活性化させる発想は人口減少社会にあっては持続可能性に乏しく、いかに域内、域外の民間投資を呼び込むかという発想こそ今の行政には求められていると私は主張してきました。その発想のもとに進めている施策の1つが、先ごろ発表した「まちなか投資倍増プロジェクト」です。そこでは「投資を促す3本の矢」として、「容積率の緩和」「斜線制限の緩和」「固定資産税等の軽減(10年間)」の規制緩和と税の軽減を打ち出しています。こうした民間事業者の投資意欲を喚起するルール、環境づくりこそ行政の役割だと私は考えています。
この市街地活性化のほか、私が大きな決断を下した問題に「児童相談所の設置」がありました。
―どのような経緯だったのですか。
児童相談所は、中核市において設置することができるとされている専門機関です。近年、深刻な問題となっている児童虐待などに迅速に対応するためには、従来県が運営してきた児童相談所の機能を、市として一元的に担ったほうが良いとの考え方は、当市が中核市になった平成10年以降、議論されてきました。しかし、「県と業務の重複」や「費用や業務の負担」が背景にあり、長く設置の決断が下されることはありませんでした。
これに対しては、やはり宮崎市の子どもたちのためには、児童相談所の設置は必要だとの判断のもと、行政のトップとして決断を下したのです。こうした判断は、民意を背負った政治家にしかできないことだと考えたからです。
―こうした決断の裏で、行政のトップとして大事にしてきた信念はありますか。
私が「意志をもって決断すること」を志しているだけに、その強いトップに属人的に依存する組織づくりはしたくないとの想いは就任当初からありました。そこで、就任直後に「市役所改革推進課」を新設し、外部人材も登用して、まずは組織としての方向性を職員らとともに議論しました。そして、市役所の組織目標を、「プロフェッショナルとして市民の幸せのために働く組織」と定め、それを実現するための「意識改革」と「働き方改革」を両輪で進めています。市政を変えるために、トップだけではなく、役所自体もプロとして生まれ変わろうとしています。
人や物や情報が行き交う、開かれたまちづくり
―そうした改革や決断の先に、清山さんはどのようなまちづくりビジョンを描いているのですか。
目指すところは、外に向かって開かれた宮崎市であることです。地元の人や資源のみでまちづくりを担っていくだけでは、いずれジリ貧になるのは目に見えています。いつの時代も新しい価値は、外から来た人たちによって社会にもたらされてきました。この宮崎市も、もともと城下町としての歴史はなく、明治期以降、県庁を中心として人工的に開かれてきたまちです。伝統やしがらみに縛られることなく、外から来た移住者たちを寛容に受け入れて発展してきた歴史があります。これからの時代にこそ、そうした寛容さが必要だと考えており、人や物や情報が自由に行き交う開かれたまちづくりにこそ、長期的には都市としての成長可能性をもてるのではないかと感じているのです。
―そのために、どのような政策を推進していく考えですか。
「持続可能性」は、今後の政策立案における最も重要なキーワードです。次期総合計画では、持続可能なまちづくりのためにどのような施策が必要かという視点から、総花的なものではなく、メリハリをつけた政策を打ち出す考えです。
次期総合計画の3つの柱
―次期総合計画の早期策定を前提に、現在の第五次宮崎市総合計画の期間短縮も発表されていますね。
具体的には、すでに「戦略プロジェクト」として打ち出している「力強い経済への挑戦」「誰一人取り残さない社会づくり」「未来への投資」という3つの柱による新たな市政運営の方針のもと、時代の潮流などを踏まえて、各種施策を推進することとします。次期総合計画の基本構想は、9月議会での議決を視野に、策定作業を進めているところです。