50%の給与カットで見せた 改革しようとする本気度
―平成15年の「三位一体の改革」により地方交付税が大幅に削減されたのを機に、海士町は当時のシミュレーションで「平成20年度には財政再建団体へ転落する」と予想されていました。そこからどのように改革していったのでしょう。
まずは、「守り」として徹底的な行財政改革を推進しました。手始めとして「自ら身を削らないと改革は支持されない」と考え、私自身の給与カットを申し出ました。その後、助役、教育長、議会、管理職と続き、職員までが「自分たちの給与もカットしてほしい」と。
平成16年から実施し、翌年には私が50%、そのほかの二役が40%、職員が30~16%の給与カットを行いました。結果、海士町は「日本一給与の安い」自治体に。しかし、そのかいあって約2億円の経費削減に成功しました。
その後、「たんに給与カットしただけでは夢がない」と、職員の給与カット分を使って出産祝い金を手厚くするなど子育て支援を展開。自分たちのカットした給与が地域に貢献していることが明確になり、職員はより前向きに取り組むようになりました。
さらに、給与カットを行うことで住民の意識も変わりました。
―どう変わったのですか。
「自分たちにもできることはないか」と、自主的に声があがるようになったんです。老人クラブから、これまで半額だったバス料金を元に戻すよう申し出があったり、補助金の返上や寄付の話が持ち上がりました。これはお金だけの問題ではありません。行政が本気を見せることで住民と島の将来への危機感を共有し、その後の取り組みに対し連携の輪が広がるようになっていったのです。給与カットで、住民との結束が強まりました。
ちなみに、平成25年から職員のカットはゼロに戻しています。
第一次産業を見直し “外貨獲得”の武器を磨いた
―その後、どのような取り組みを行ったのですか。
「守り」の次は「攻め」です。「攻め」とは島に新たな産業をつくって島外で販売して“外貨”を獲得することを意味します。とはいえ、ゼロから新しいものをつくるのは難しい。ひるがえると、海士町は農業と漁業を生業としてきました。そこで、「海」「潮風」「塩」をキーワードに第一次産業をもう一度見直し、島がもつ地域資源を有効活用して新たな加工産業を生み出していくことにしたのです。
その際、Iターン者など外部からの視点を借りました。地元住民では気づかない島ならではの魅力をブランド化するためです。それが「島じゃ常識 さざえカレー」の開発や「隠岐海士のいわがき春香」の養殖・販売につながりました。
さらに大きな取り組みとして、平成17年に第三セクター・ふるさと海士を立ち上げ、「CAS(CellsAliveSystem)」システムを導入しました。
―システムの詳細を教えてください。
このシステムを使えば組織細胞を壊すことなく魚介を凍結し、とれたての鮮度を保ったまま出荷できます。海士町は市場がない離島のため、島外に出荷するしかなく、どうしても鮮度が落ちるというハンディキャップがありました。CASシステムがあれば、特産のいわがきや白イカを島から遠い首都圏でも販売が可能になるのです。
建設費も含め5億円が必要で、県議会から「絶対に黒字にならない」と危惧されましたが、導入を決断。認知度が高まるにつれて、首都圏の外食チェーンや百貨店など
徐々に販路が広がり、直近では6期連続でふるさと海士は黒字。平成26年度は2億5212万円の売上を計上しました。最近は上海やシンガポール、ニューヨークにも
出荷しています。
さらに魚介にとどまらず、「隠岐牛」や「海士乃塩」「ふくぎ茶」など、海士町ならではの食材を販売。島をまるごとブランド化することで、“外貨”の獲得につながっています。
本気で向きあって集まった 意欲の高いⅠターン者
―近年は、Ⅰターン者の増加で注目を集めています。どのような施策を行っているのでしょう。
行政から「ぜひ来てください」という呼びかけはしていません。また、定住対策として住宅の確保などは行いますが、特別な支援制度もありません。しいていうならば、モノづくりをベースとする産業振興策を進めた結果、「海士町にくれば、なにか新しい挑戦ができそうだ」と意欲のある人が訪れるようになり、その人のつながりでまた新たな人が集まるスパイラルが生まれているのです。
そのため「のんびり田舎で暮らしたい」というより、一流大学を卒業し、大手企業でのキャリアをもつ20~40代の人材が仕事をつくりにきているというのが特徴です。
―そうした人材に定住してもらうためのポイントはなんですか。
本気で向きあうことです。本気でなにかをやりたい人にはサポートできる制度を探し、なければ一緒についていって国に提案することもあります。
実際に「干しナマコの事業をしたい」というIターンの若者に対し、7000万円を投じて加工所をつくりました。この事業は成功し、中国への輸出も始まっています。助成金ありきではなく、人ありきの支援が大事なのです。
全体の人口は約2400人ですが、平成26年度末時点で326世帯、483人のIターン者が海士町に定住しています。
全国から生徒が集まる 魅力ある高校づくり
―島外から高校生の入学者も増えているそうですね。
ええ。島根県立隠岐島前高等学校は隠岐諸島の島前地域で唯一の高校ですが、少子化と過疎化により平成20年には生徒数が1学年28人になり、統廃合の危機が迫っていたんです。島の子どもが島外に出てしまえば、人口の流出だけでなく仕送りも島民の負担になります。そこで「島前高校魅力化プロジェクト」を立ち上げ、島外から入学者を呼び込むことにしたんです。
具体的には、地域づくりを担うリーダー育成を目指す「地域創造コース」と難関大学への進学を目指す「特別進学コース」を開設。学校連携型の公営塾の設立や寮費、食費を補助する「島留学」制度も実施しました。こうした取り組みにより、平成27年の入学者は57人、島外からは27人が入学しています。
民の仕事を官がする それぐらいの意気込みが必要
―なぜ、そのようにさまざまな行政改革を実現できたのでしょう。
覚悟をもって、決断と実行を繰り返してきたからです。かつては補助金をとってくるのが首長の仕事という風潮がありました。しかし、これからはトップが経営感覚をもち、戦略的に改革を行っていかなければ行政は立ち行かないでしょう。
私は平成14年に当選を果たした後の就任式で「今日から海士町役場は住民総合株式会社だ」と宣言しました。私が社長で管理職は取締役、職員は社員だと。みんなビックリしたと思いますが、目に見える成果が出ることで、現場でも「結果を出そう」と覚悟をもって取り組むようになっています。「カネがない」「例がない」「制度がない」、だからできないとは絶対いいません。これらの言葉は役場でタブーです。ないならないで、できるように努力する。デスクの向こうで住民が来るのを待つのではなく、民の仕事を官がやるぐらいの意気込みが必要なのです。
これまでいろいろな取り組みを行ってきましたが、まだまだチャレンジの途中です。
海士町は人口も減り、財政も破たんしかけました。いわばこれからの島国日本に訪れる危機を先に経験したようなものです。ですので、我々が成功事例をつくることで日本が変わっていくんじゃないかと本気で思っています。チャレンジを積み重ねることで日本を変えちゃろう、と。職員たちと酒を飲みながらよく話しています(笑)。