※下記は自治体通信 Vol.60(2024年9月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。
令和5年5月、26歳の若さで芦屋市(兵庫県)の市長に就任した髙島氏。「史上最年少市長の誕生」とともに、「東大に進学、ハーバード大学卒業」という経歴にも高い注目が集まった。それから1年が経過したいま、若きリーダーが率いる同市は、「市民との対話」と「教育」をテーマとした市政を推進。そこには、髙島氏の「住民の可能性を拓くことが行政の使命」という考えが貫かれているという。その使命感のもと、同氏はどのようなまちづくりを目指しているのか。今後の市政ビジョンを聞いた。
髙島 崚輔たかしま りょうすけ
平成9年、大阪府生まれ。灘中学校・灘高等学校を卒業後、東京大学に進学。その後ハーバード大学に進み、令和4年に同大学を卒業(環境工学専攻・環境科学・公共政策副専攻)。大学時代には、NPO法人グローバルな学びのコミュニティ・留学フェローシップ理事長を務め、芦屋市役所企画部政策推進課でインターンシップも経験する。令和5年4月の芦屋市長選挙で、史上最年少となる26歳で当選。同年5月1日に就任。
「市長」の存在を意識した、小学生のときの「原体験」
―そもそも、髙島さんが市長を志した理由はなんだったのですか。
いま思えば、私が小学6年生のときの「原体験」があります。生まれ育った箕面市(大阪府)で当時、30代の若い市長が誕生したのですが、学校行事にも訪問してくれました。「市長」という存在を初めて意識したきっかけでしたが、その市長になってからというもの、「まちが明るくなった」という印象が強く残っており、子ども心に「市長はまちを変えられるんだ」と感じましたね。この原体験が、「国でも都道府県でもなく、市町村こそが直接住民の暮らしを変えられる」という、いまの私の考え方につながっています。その後、高校1年生のときにまちづくりに関する話を聞かせてもらう機会もあり、行政のトップになることで、できることがいろいろあると想像が膨らみました。
―芦屋市長に就任して1年が過ぎました。どう振り返りますか。
就任前から重視している「市民との対話」を、しっかり行えた1年だったと捉えています。どの自治体もそうだと思いますが、もはや行政だけで進める「まちづくり」には限界があります。私は高校卒業後にアメリカの大学で学ぶ中で、欧米やアジアの多くの都市を巡ったからこそ確信を持って言えますが、芦屋には「世界に誇れる魅力と可能性」があります。「豊かな住環境」と、なにより「芦屋を愛する市民の力」があるからです。いま当市は、近隣自治体の中で出生率がもっとも低い一方で、高齢化率はもっとも高い状況です。その影響もあってか、「芦屋に元気がない」という声もたびたび聞かれます。その状況を打開し、魅力あるまちづくりを市民と一緒にどう進めるか。就任1年目に、市内の事業やイベントを通じて350回を超える対話を重ねたのには、そうした問題意識があったためです。
「教育の重要性」に「先輩世代」も賛同してくれる
―「対話」ではどのような気づきを得られましたか。
あらためて「芦屋の方々の地元愛の強さ」を感じました。じつは私は高校時代、生徒会活動などを通じて芦屋のみなさんと接する機会が多くあり、そのときも「地元愛の強さ」が印象に残っていますが、今回の対話でも変わらず、それを感じました。私は選挙期間中から一貫して、「教育」を最重要政策に掲げていましたが、市長就任後にも対話を通じて教育の重要性を訴える中で、子育て世代はもとより、いまでは70代や80代といった「先輩世代」の多くが賛同してくれるようになりました。「先輩世代」の方々が応援してくれる理由は、「芦屋の未来を担う子どもたちを応援したい」という気持ちからなんです。この想いはまさに、「芦屋を愛する市民の力」にほかなりません。
―髙島さんがいま、「教育」に注力するのはなぜでしょう。
私は、行政のもっとも重要な使命の1つは「住民が持つ可能性を拓くこと」だと考えており、その基礎になるのが「教育」だと信じているからです。私自身の人生を振り返って幸せだったと感じるのは、両親を含めて学校の先輩や先生方など周囲の大人たちが、私のチャレンジを否定するようなことをしなかったことです。いつでも私の想いを受け止め、その可能性を信じ、力強く応援してくれたものです。そんな後押しがあったからこそ、私自身も「自分の可能性」を信じてさまざまなことにチャレンジできました。アメリカの大学で学ぶ決断ができたのも、26歳で市長選挙に立候補できたのも、そうです。そうした実体験があるからこそ、「自らの可能性」を一人でも多くの人が信じられるようになれる教育、その重要性を強く意識しているのです。
「学ぶ楽しさ」を教えられてはいない
―「教育」をどう進めていきますか。
まずは市の教育ビジョンを明確に示すため、市長就任から約3ヵ月後に早速、独自の「教育大綱」を策定しています。そこで掲げているのは、「ちょうどの学び」です。従来のように、子どもたちが画一的に与えられた内容を受動的に学ぶのではなく、一人ひとりの個性や特性、興味関心、理解度などに合わせて、主体的に学べる環境づくりを進めていきます。
私は、「学び」とは、自分の人生をより豊かにするための知識やスキルを手に入れるためのものであり、本来はとても「楽しいもの」だと思っています。しかしながら、いまの日本の教育は、学力は向上させられたとしても、「学ぶ楽しさ」を教えられてはいないと感じています。そもそも、なぜ学ぶのかに誰も答えられないまま、テストのために学んでいる。子どもたちはいつしか、自ら学ぶ意欲もなくなってしまいます。その状況を変えるためにも、一人ひとりに合った学びの環境が必要なのです。そこでこそ子どもたちの学びの意欲はどんどん高まるに違いありません。
―そうした取り組みの先に、どのような変化を期待していますか。
自分の可能性を信じ、未来を切り拓ける子どもたちが、このまちからどんどん育っていくようになることを期待しています。そして、いつまでも自分の可能性を追い求められるよう、子どもたちはもとより、すべての市民が生涯学び続けられる芦屋市にしていきたいのです。そして、自らの未来を切り拓く力のある市民とともに、芦屋の未来を築いていきたいです。
世界に羽ばたいた若者が、戻ってくるまちに
―今後のビジョンを聞かせてください。
私は、「世界に誇れる魅力と可能性」を持つ芦屋を、「世界一住み続けたいまち」にしたいと考えていますが、なにも、芦屋にずっととどまってほしいと思っているわけではありません。
当市で教育を受けて育った若者には、ぜひ世界に羽ばたいてほしいと考えています。そして、芦屋から羽ばたいた若者が子育てをする年代になったとき、「戻りたい」と思ってもらえるまちにしていくことが目標です。地元愛に満ちた市民たちがつくるまちの魅力、そこに「豊かな教育」という魅力が加わることで、あえて「質」という表現を使うのであれば、「上質な子育て」ができるまちになれるはずです。これこそ、持続可能なまちづくりに向けた、これ以上ない基盤になるに違いないと胸を張って言いたいです。